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2019年シーズン全143試合のnoteを書き続けて思ったこと

思えば2018年シーズン、試合が終わるたびに溢れ出るヤクルトへの思いを消化する場所がなくて、とにかくまずnoteのアカウントを作り、そこで一人、思いのたけをぶちまけ始めた

私のツイッターアカウントはそもそも、息子がお腹にいた頃に作ったもので、周りに出産を経験した人がほとんどいない中、(信じられないけれども10年前、社内で妊娠・出産をして働く女性というのは、めちゃくちゃはちゃめちゃ少なかったのだ)、同じ時期に出産を予定している人と繋がることができたのは、本当に心強かった。現在の私のママ友のほとんどは、この時期にTwitterを通してできた友人だと言っても過言ではない。もう10年の付き合いになる。しまいには一緒に仕事をしたりしている。すごいことだ。(いつもありがとう。)

ただ、そうして作ったアカウントなので、急にヤクルトヤクルトヤクルトぐっちぐっちぐっちぐっちぐっちと言い始めるのはちょっとはばかられた。

ほっといたらツイッターもブログもヤクルト一色になってしまう。それを危惧した私は、noteで新しいアカウントを作り、ひたすらヤクルトのことだけを書き始めた。(結局のところ、今ではTwitterもほぼヤクルト一色になったわけだけれども私の優しいママ友たちはその様子をめちゃくちゃニヤニヤしながら見守ってくれている。ありがとう。)

そして2019年、私は一つの小さな決意をした。今年は、全試合で観戦記を書こう、と。それによって何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でもとにかく書こう、と。

そうして私は、書き続けた。勝ってうれしい日も、ひどい負け方をしてふて寝をした翌日も。

それは例えば、毎日走ること、と似ているかもしれない。

私にとって書くことは、頭というよりは、身体を動かすことに近い。自慢じゃないけれども私は全くもって頭の回転が速い人間ではないので、机の前に座り、何かを必死で考えても、素晴らしいひらめきがあったり、あらゆることを理解したり、ということは、残念ながら、ほとんど、ない。

例えばあの時オットが言っていたことの意味、とか、子どもたちにどうやって接するべきだったのか、とか、そういうことだって、正直言って机の前で考えるよりも、走っている時に、ああそうか!と、腑に落ちる、ということの方が多い。

だから、「書く」ときも、パソコンの前に座った時には「何を書くか」が決まっていることはほとんどない。手を動かしながら、頭を整理していく。手を動かすことで頭を動かしていく、という方が近かったかもしれない。

もちろん書く前には「ああ書きたくないなあ」と思うことだってある。他の仕事やスケジュールがいっぱいで、時間を算出するのすら難しい日だってある。こんなに書いていたら逆に書くのが嫌いになっちゃうんじゃないの?と思う日もある。そう、走りたくない日と同じように。

でもとにかく、パソコンの前に座って手を動かす。イヤホンを手にして、玄関で靴紐を結ぶのと同じように。そこまで行けば、もう身体を動かすしかないのだ。

そうして半ば無理やりにでも身体を動かして、後悔すること、というのはまずない。毎日毎日走りたくないと思いながら家を出るけれど、走り終わって「ああ走らなければよかった」とは思わないのだ。

それを、ほぼ毎日毎日繰り返していくことで、走る体力と同じように、とにかく「書く体力」みたいなものを鍛えてきた気がする。

毎日書くことで、文章がうまくなったとか、そういうのは正直よく分からない。もちろん、ある程度は上達するのだろうけれど(そう思いたいけれど)、それよりはその体力を培う、といった感覚の方が、自分にとっては大切だったように思う。

だけど、自分のためにそうして書き続けたことで、それを日々のルーティンとすることで、実際に読者の方に会った時に「毎回楽しみにしています」と言っていただいたり、「試合の後、虫明さんがこの試合のことをどう書くのかなというのがすごく楽しみです」と言っていただいたり、はたまたnoteであたたかいメッセージをいただいたり、それとともにサポートをいただいたりすると、それはやっぱりものすごく、ものすごく嬉しかった。

そしてただひたすら「書き」続けたことは、「話す」ことに繋がったりもした。

プロでもなんでもない私が毎日走ることは間違いなく誰のためにもならないし誰かを勇気づけることもないけれど(24時間走ることは特に誰かを勇気づけることにはならないのだ)、「書く」には「読む」人がいてくださり、「話す」には「聞く」人がいてくださるわけで、そのことでほんの少しでも、楽しんでもらえたり、心を軽くしたりできるのであれば、それはとても嬉しいことだな、と思う。

そういえば新聞社に入社した時の志望動機で、「一人でできないことが、マスの力でなら解決できるかもしれない」と言ったようなことを話した。学生の頃やっていた児童養護施設でのボランティアで、「個人の限界」みたいなことをつくづく感じたからだ。

だけど大きな組織に属したあと、私はまた、「一人」に戻った。そして2000字くらいの文章を、日々ぽつりぽつりと紡いでいる。それは決して、「大きな力」ではない。「マスの力」なんかじゃまったくない。

でも、そういう小さなものを、コツコツ積み重ねていくことだって大切かもしれないな、と、今の私は思っている。それはもしかすると、頭で考えるだけではいつも何も理解できない私が、コツコツ毎試合noteを記し続けて、身体で理解したことなのかもしれない。

少しずつ、少しずつ、前進しているのかな、と思う。小さな小さな一歩一歩は、少しずつ、何かに繋がっていくのかもしれない。もしかしたら大きなうねりにだって、いつかなるかもしれない。ヤクルトだって、同じように。

来シーズンはまたきっと、違う物語がたくさんある。それを書き続けることでまた見える景色を楽しみに、オフはちょっとゆっくり過ごそうと思っています。オフに結構な開放感を感じる、というのも毎試合書き続けて気づいたことなのである。

ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!