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いつも上田が教えてくれる。自分の「仕事」をやることを。

悲しいできごとがあった時、世界中が不安に包まれているような時、自分に何ができるだろうと考える。もちろん、多くの人が考える。

だけど、自分にできることなんて、たかだか知れている気がする。自分は医療従事者じゃない。消防隊員でも救急隊員でもない。物流の仕事をしているわけでもない。自分の仕事にどんな意味があるのだろう、と立ち止まってしまう日もある。

そんな時、私は二年前の夏、岡山で行われた試合を思い出す。上田の故郷である岡山は、その時ちょうど、西日本豪雨で大きな被害に遭っていた。

上田は、その岡山で行われた試合で、右に左に走りまわっていた。私はそれを、宮古島のホテルでじっと見ていた。

自分の故郷の景色が変わってしまった時。自分に何ができるのだろうか。

上田は、故郷の球場の、ライトを守った。わざとですか?というくらいにライトにばかり飛んでくる打球を、(アウトにしたりできなかったりしながら)とにかく処理した。

あの日、岡山で上田は、そこでできる「仕事」を、全うしていた。


あと10日近くまで迫っていたはずのプロ野球の開幕は延びに延び、ファンも、もちろん選手自身も、やり場のない思いを抱えている。

粛々と目の前の仕事をこなしながら、私は上田のインスタを見る。

上田は、粛々とバットを…たぶん振っていると思うのだけれど同時に、たいしと楽しそうにインスタライブをしている。エイオキと会話をし、ファンの質問に答える。

ジャパンを代表する広報・ヤスアキ師匠のように器用に全てをこなすわけでは(もちろん)ない。行き当たりばったりで、ファンをインスタライブに登場させる。私は勝手に結構ハラハラする。でもそれが、上田の素晴らしいところだ、と、思う。

守備をする姿、というのが、例えばホームランを打つ姿と比較して、どれだけ人の記憶に残るのかはわからない。上田のセーフティーバントが、なんかものすごいラッキーな形でツーベースヒットになった瞬間を、この先どれだけの人が覚えているかはわからない。でも、私にはとりあえず、岡山で、上田がものすごく動き回っていた、という、その印象がなかなか強烈に、残った。

あの日、岡山で上田は「セーフティーバントをツーベース」にした。そして守備でファインプレーを見せた。

それは、大きな被害があった故郷岡山で上田が見せた、最高のファインプレーだった。それは今、鬱々とするファンにインスタライブを見せてくれる、上田のその姿に重なる。


日本中が、世界中が、不安の渦に巻き込まれているような状況で、目に入る言葉がどれも、鋭さを増しているように感じることがある。

自分の無力さを痛感するあまり、誰かを「正義感」から、「こうすべきだ!」とSNSで声高に叫ばせるのかもしれない。あるいは、批判「できる」対象を見つけて、ここぞとばかりに叩きたくなるかもしれない。それが自分にできる「正義」だと、思ってしまうかもしれない。

でも、たぶん、そうじゃない。

私たち一人一人には、「仕事」がある。もちろん、専業主婦や主夫の人たちにも、家庭での「仕事」がある。PTAの「仕事」もあれば、うちのねこにはただひたすら人をいやしまくるという「仕事」がある。

できるのは、基本的には、その「仕事」だと思う。

あなたは写真を撮るのが仕事かもしれない。私は書くことが仕事だ。食を提供すること、モノを売ること、売る仕組みを考えること、誰かのごはんを作ること、掃除をすること、そして野球をすること、お芝居をすること、歌を歌うこと。

それは今直接的に、世界を救うものではないかもしれない。でも、それは絶対に「無駄」なことじゃない。誰かの心を明るくしたり、生きる喜びになったり、日々を健やかにしたりする。それは回り回ってきっと、この状況すら打破する力になっていくんじゃないのかな、と思う。

もちろん今の世界が教えてくれることは「このままじゃダメだ」ということだと思う。世界は転換期だし、それに伴って個々にできることを、仕事を、見直さなきゃいけない時にきていることも確かだ。それでもなお、「できること」というのは、個々の手の中にあるはずなのだ、と思う。

あの日上田が岡山で走りまわったように、インスタライブでひたすら笑わせてくれるように、私も私にできることを、少しずつ、と思う。

早く神宮で走り回る上田に会えますように。上田のサヨナラをまた、神宮で見られますように。

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