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いつだってハクナマタタ、と歌いながら【8/22広島戦◯】

お盆明け、息子は初めて一人で新幹線に乗り、京都のじいじのおうちへ行った。

車掌さんは見送りながら泣きそうになっている私にも、一人でにこにこしている息子にもめちゃくちゃ親切だった。

「みんな優しい!」「西日本で配っているスタンプカードと東日本で配っているスタンプカードを特別にどっちもくれた」車内の息子からは、メールがたくさん送られてきた。心配したこちらの気も知らず、めちゃくちゃ楽しそうである。初めて一人で買ったマンゴーアイスは、「僕のスイーツランキング第5位」だったらしい。5位かよ。

そういったわけで、ただいま我が家はパパママむすめの三人家族状態である。生まれた時から「四人家族」だったむすめにとっては初めての経験。せっかくのむすめとの時間も楽しもうと、今日はライオンキングを見に行くことにした。

シンバたちは「ハクナマタタ」と歌っていた。むすめが「ハクナマタタってどうにかなるさって意味だよ!」と教えてくれた。よく見ている。

私は思う。そうだよなあ、ハクナマタタだ。ヤクルトがどんなに負けようともどれだけサヨナラ負けしようともハクナマタタだ、と。

広島戦初日、あのサヨナラ負けで、もちろん私は煮え切らない思いを抱えていた。

球審のジャッジに疑問を持つと、そこからどうしてもピッチャーは崩れていく。だからもちろん、正確な判断を、と、思う。そりゃそうだ、それがプロの仕事だから。判定から崩れていくピッチャーを見ているのはとても辛い。

だけど、その判定だけに、敗因を求めるのはやっぱり虚しい。人間がやることにそういった「不正確さ」がどうしても現れるのであれば、絶対に防がなきゃいけない点は、きっと他にもあった。バッテリーエラーがあり、四球があり、死球があった。それがなければ防げた失点は、山のようにあったのだ。

その判定に泣く日もあれば、救われる日もあるということを、多分忘れちゃいけないのだろう。もちろん、どちらもないに越したことはない、というのは大前提なのだけれど。

人間の判定だけじゃない。今日みたいに、ピンチを迎えた時に降り注ぐ自然の雨に救われるといったような日だって、ある。こんちゃんのピンチをしのぎ、マクガフやうめちゃんを休ませてくれた雨は、やっぱり恵みの雨だ。

もちろん、時にその雨に泣くことだってある。中断した後にばかすか打たれた試合もあった。野球という勝負の世界はいつも、裏表でできている。今日笑う誰かが、明日泣くこともあれば、今日泣いた誰かが、明日笑うことだってあるのだ。

前日に9回の満塁のチャンスを生かせなかったてっぱちは、母校の優勝で火がついたかのように、今日は打ちまくった。タイムリーを打ち、先頭のツーベースを打った。多くの得点に、てっぱちは絡んだ。スターにはスターの重荷がある。計り知れない「怖さ」をきっと抱えている。でもそこに、打席に、逃げずに立ち続け、そして走り続けるのだ。

勝負も、もしかしたら「運」みたいなものも(あまりそういうもののせいにはしたくないな、と私は思うけれど)、日々ころころと変わっていく。勝利の女神がどちらに微笑むかはわからない。でもできることをただやり続ける、逃げずにそこに立ち向かい続ける。その先に、きっとつかみ取れるものがあると信じて。

それなら私はここで、いつも同じように応援し続けるだけだ。良い時も、悪い時も、ハクナマタタ、と思いながら。


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