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「気持ちよく走れた!」という日はかくも少ない(ヤクルトが勝つ日の方が少し多い)【ランニング日記 6/22(月)〜6/25(金)】

6/22(月)

金曜日は雨で走れなかったので、週末はなんとなくそわそわしていた。一日走らななかっただけでなんとなく悪いことをした気分になるのは、ある種の中毒というか強迫観念のようなものじゃないかとも思うのだけれども、こうなるとほんとうにランニングというのは身体に良いものなのだろうか考え込んでしまう。ぶつぶつ。

5:05、ノースリーブで外に出ると、久々に「あ、寒いな」という感じがした。1キロ走ってようやく、身体があたたまってくる。たぶんこれくらいが、ランニングにとっては良い気温なのだ。キロ5分45くらいで走り始め、10キロを走り終える時には平均キロ5分35。最近では一番良いタイム。

最後にスピードを上げたからそれなりに疲れはしたけれど、5キロを過ぎたところでもまだそんなに「ああしんどい」という感じはなかった。このくらいの感じでいつも走れたらとてもいいのだけれど。

何度も書いている気がするけれど、このしんどい日とそうじゃない日の差はなんなんだろう。こういうところがなんというか、一人で走る限界のような気はする。「よくわからない」ことがめちゃくちゃある。

今日からむすめも給食が始まるので、3週間に及ぶおべんとう作りがようやく終わった。今日は走り終わってもお弁当を作らなくていいのかと思うとちょっとなんというか言いようのない解放感でいっぱいになる。よくがんばった。えらい。とてもえらい。自分のことはひたすら自分でほめながらやっていくのである。

6/23(火)

雨。「誠に遺憾ながら走れないパターン」と言えなくもないが、なんせ小雨だし、このあと雨は止む予定のようだし、雨が止んだ空を見上げて「ああ、走れたな…」と思う時のあの妙な罪悪感に似たものと向き合うのが面倒なので(そう私は面倒くさがりなのだ)、雨に打たれながら走ることにする。

ズームフライ3は、甲の薄い部分の面積が少し広い、気がする。雨模様の中走ると、あっという間に雨がしみこんでくる。これがまあけっこう気になる。

そして、雨の日のまとわりつく湿気は暑さにつながる。外に出た瞬間の「肌寒いな」という感じは、あっというまに消えていく。やけに暑いので帽子もサングラスも外す。日差しはもちろん気にならないけれど、なんせ雨がダイレクトに顔に当たる。

雨の中走ると、つい雨の日の神宮を思い出す。レインコートで冷たい雨をしのぎながら、なんでこんな思いをしながら見ているんだ…?と、思いながら、その多くは負け試合を、少しの逆転の可能性を信じて、見届ける。

ランニングも野球も、なにかの修行なのだろうか、と、こんな日はまた思う。昨日のような「ああ気持ち良く走れた!」という日はかくも少ないのだ。(ヤクルトが勝つ日の方がそれよりは少し多い)

6/24(水)

今日も5:05に家を出る。この時間でもすでに少し、蒸し暑い。ああハワイみたいだ、と少し思う。ハワイ行きたいなあ。基本的には田舎の静かなビーチが好きなのだけれど、今はなんだか、ばかみたいなワイキキの陽気に触れていたい。

「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながら走る。そうだ、ヤクルトが負けた翌日のランニングって、こういう感じであった。いろいろまあ、ぐっとこらえて走る。

ここのところずっとマイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』を読み返している。自ら死刑を求めたゲイリー・ギルモアの、弟マイケル・ギルモアが書いたノンフィクション。『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて、今これを読み返したら面白いんじゃないか、と思ったのだ。

最初に読んだ時は結婚前で、子どももいなかったので、ふうむ、こんな事件があったのだな、くらいの印象だったのだけれど(けっこう地味な本なので)、親になった今これを読み返すとあまりの重さに吐きそうになる。私は本はどれくらい暗くても重くても読み通せるので(映画は見られない)大丈夫だけど、これダメな人はダメだろうなと思う。

家族が連綿ともたらしてきた「暴力の歴史」、それと別の形で戦い続けたゲイリーとマイケル、他の兄弟たち。親が子どもにもたらすものの大きさに胸が詰まるし、多かれ少なかれ私だって子どもたちに「悪しきもの」を引き継いでいるのではないか、と思ってしまう。そのプレッシャーにちょっと吐きそうになる、本当に。

でも、そうして「生きていく」しかないんだよな、と思う。親が知るべきなのはもしかすると「親が子どもにできることなんてほんのすこしなのだ」と、その事実なのかもしれない。

そして暴力は何も生まない。怒りをぶつけることは、結局は人との距離を離すことだ、と思う。学校で会ったある先生のことを考えながらああそうだ、そうだよな、と改めて思う。走っているとたまに、いろんな物事が「ストン」と落ちる瞬間がある。

と、いろいろと考えていると、暑くてしんどかったわりには遅すぎないタイムで走りきった。

ところでApple Watchでnikeのランニングアプリを終了しようとした瞬間、アプリが落ちてしまってデータが全部消える。これ、本当にがっくりくるので困る。キロごとのラップタイムとかがわからなくなってしまう。頼むよアプリ。

6/25(木)

昨夜、息子がおなかが痛いと言い出し、初めて「ファストドクター」というサービスを利用してオンライン診療を受けた。これがもう、素晴らしいサービスだったので、全国に広がればいいのにと思う。夜間診療に子どもをなんとかかんとか連れていく、何時間も待たされる、大した診療はできない、お薬をもらうのにまた待たされる…というあのストレスが、自宅にいて30分ですべて済んでしまう。これは本当にすごい。考えてくれた人ありがとうございます。

まあ息子は大したことはなかったのだけど、そんなこんなで寝るのが少し遅くなった。そのおかげで今朝は4:30頃一度目が覚めたものの二度寝し、緊急地震速報で起きた。私は地震というものに本当に本当に本当に気づかないのだが、緊急地震速報はさすがに気づく。(当たり前だ。)

ベッドから出たのがいつもより遅く、5時少し前。外は雨がパラパラと降っている。寝坊、雨、これは走らない…という手もあるのだが、これまた雨が止んでから「ああ走ればよかった」と後悔するパターンなので、渋々起きて準備する。(ああいったい私はなんのために走るのか)

じわじわと、ああ、昨日ぐっちがホームランを打ったな…と思い出す。ぐっちは一体、なにと戦っているのだろう。なにと戦えば、あの「不屈の魂」が生まれるのだろう。不屈すぎる。

雨は思いのほか強くて、今日もまた靴が濡れる。外に出た瞬間は「肌寒い」というよりむしろただ「さむい」という感じだったのが、走るにつれて厄介な湿気になって肌にまとわりつく。それはいとも簡単にこちらの体力を奪っていく。そんなもの奪ったって、そちらには何の得もなかろうに。

でも今日も走る。雨が降っていても、とにかく。決して良い調子ではなかったけれど、でもひどいタイムということもない。これくらいのペースで走っていられたらいいなと思う。(あのとにかくしんどくてタイムがズタボロだった日々が軽くトラウマなんである)

6/26(金)

目覚まして4:30に起きたもののまた二度寝をし、起きたら5:05だった。まあまあの寝坊である。体も重い。外はうっすら薄暗い。これは「誠に遺憾ながら雨で走れないパターン」ではと、期待するも、窓を開けたら全然降ってなかった。なんだよ。今日は疲れて今週一番走りたくないよ。

と、思いながら渋々重い腰をあげる。ああ走りたくない。

5:30に家を出る。時間のせいか、昨日までよりは少し、気温が高い気がする。

「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながら走る。しんどい思いはしたくないのだよベイビー。

なおみちのホームランを何度も何度も反芻する。本当に美しいホームランだった。さいっこうだった。でも一晩経つと、そこに至るには、たくさんの人の頑張りがあったからだよな、と思う。そしてサヨナラのいいところは、とにかくいろんな人が報われるところにあるよな、と。(その辺は観戦記に書きます。金曜日はnoteが忙しい。)

昨日の試合のこと、家のこと、もろもろをぼおっと考えながら走っていたら、いつの間にか5キロの折り返し地点を少し通り過ぎていた。こういうのは久々だ。タイムも「すごくいい」わけじゃないけれど、悪くはない。

走りたくなかったわりに、体というのはちゃんと体は動くからすごい。なんかもう、私の知らないところで体は体でなんとかしようとしている感がある。そういうのは走るまでよくわからなかったことだけど。

とにかく今週も走りきった。今週、朝の二度寝が多かったのはきっとそれなりに疲れていたからだろう。仕事の撮影が再開したり、子どもたちは学校へがっつり行くようになったり(ようやくお弁当は終わったけど!)、そしてもちろん毎日の野球が始まったりで、また違うリズムで日常が動き始めている。無理せずゆっくりと。週末はめいっぱいゆっくりしましょう。

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