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【6/29広島戦○】「人生においてもっとも素晴らしいものは、過ぎ去って、もう二度と戻ってくることのないものだから。」

毎日、絶句している。こんなに毎日絶句することがあっただろうか。いやない。暑いからだろうか。暑いからかもしれない。LAに一ヶ月出張へ行っていた夫が帰ってきた途端軽井沢出張へ行くとか言い出したからだろうか。そうかもしれない。でもとにかく私は、毎日、絶句している。

いや、むねちゃんが毎日毎日当たり前のように狙い澄ましてホームランを打っているからである。あの子はもしかして、ホームランさえ打てばいいと思っているのではないだろうか。四番の仕事というのはホームランをここぞというところで打つことだなんて思っているのではないだろうか。

はい正解です。

…いや、正解なんだけれども、何度も言うけれども、「与えられた役割を、求められた仕事を、その通り遂行する」というのはそれは、そんなに当たり前のことではない。そんな簡単にできることではない。なんでそんなに、毎日のように、ひょいひょいぽんぽんホームランを打ってしまうのか。いったい何を食べて育ったらそんなことになるのか。絶句である。絶句しかない。

たまに私は、なんかもう、すごい時代を目撃しているのではないかと思うことがある。その、なんだ、ヤクルトが貯金を10だか20だかなんだか作り、2位とゲーム差をいくつかつけてしゅ…首位をひた走り、むねちゃんは月間12本だか13本だか14本だかを打ち、スポーツ紙には「ヤクルト強すぎ」とか「連敗しないヤクルト」とか「ヤクルト独走」とか、そんな文字が並ぶ。そんなこと、2年前の私が聞いて信じると思いますか?絶対に信じない。信じるわけがない。なんなら去年の私が聞いたってちょっと疑うと思う。今年のオープン戦の私が聞いたって冗談じゃないかと考えると思う。そんなこと、予想だにしなかったのだ。

予想だにしなかった現実は、ときたま、ほんのときたま、目の前に現れる。

でも、でもですよ。私は毎日毎日、絶句しながらも言い聞かせている。

それが、いつまでもいつまでも続くわけではないのだ。それは決して悲観ではなく、あるいはおそれでもなくて(いやそれは少しあるかもしれないけれども)、どんな物事も、良きこともそうでないことも、いつまでも続くわけではないというのはこれはもう、真理なのだ。諸行無常諸法無我である。

世の中は振り子のようなものだ、と、大学のゼミの先生はいつも言っていた。(お元気ですか亀井先生。)流行り廃りも、経済の浮き沈みも、円安と円高も、右も左も、おおよそ振り子のように動いている。なるほどそれは一理ある、と、今の村上くんくらいの歳の私は思っていたわけである。20年ほど前に。

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