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佐渡にチョコレート工場を作る〜そして佐渡へ〜

こちらの記事の続き、完結です。

1.独立の話

「俺たちみんな独立しよう」
シンヤの提案はこうだった。
創業メンバーを含む男性陣は全員独立しよう。そしてそれ以降は女性だけを雇用し、女性だけの会社にしたい。現在、雇用機会均等法があるが、結婚、出産、育児などで女性が割りを食って早期退職を余儀なくされている。
だから、大変かもしれないけど、女性同士で支え合っていける会社を作りたい。

うんうん、立派だ。
で、俺たちは? え? 辞めなきゃいけないの? せっかくやって来たのに?

俺たちは辞めると言っても、全く関係のない仕事をするのではなく、それぞれが連携していけるような仕事を興して、いまの活動のフィールドを広げていこう。
子会社化するのではなく100%自分の出資で完全独立。資本関係は一切なし!
この辺がシンヤのぶっ飛んでいるところだ。普通は子会社化して利益を確保したい。

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しかし困った。俺は独立など考えたこともなかった。
今の生活に満足していたし、元々経営者気質でもないと思っていた。
だが、思い返してみると、俺はいつも立ち上げの3人に遠慮していた。

4人目の男メンバーとしてUSHIOに入った俺は、当初プレッシャーを感じていた。
と言うのも、3人のことはリスペクトしていたし、すごくいいバランスだと思っていた。自分が入ることで評判を落としたらどうしよう、そんなことを考えながら、自分の存在感はアピールしつつも、どこかで一歩下がり、3人の引き立て役に回るよう意識していた。

「俺が立ち上げた店ではない。」

USHIOの人気が上がるほど、その引け目は強くなっていった。
独立。
いつか俺はその言葉を意識するようになった。
しかし具体的なアイデアなど一切出ないまま月日が流れたある日、大きな転機が訪れた。

2.難病発覚

それは突然のことだった。
血尿が出た。
あちゃあ。
思い当たる節があったおれはすぐに病院へ。
告げられた病名は常染色体優性多発性嚢胞腎。

指定難病のひとつで、腎臓が徐々に大きくなり、機能が低下していき、最終的には腎不全、透析が必要になる可能性が高いという病気。
進行性で、完治させる方法や、完全に進行を止める方法は残念ながら見つかっていない。

なぜ思い当たる節あったかと言うと、父がこの病気を患っており、遺伝確率が高いことを知っていたから。
なので病気になったと言うよりは、生まれつき持っていた病気が顕在化したということだ。
とは言え、血筋を恨むことはもちろん無く、ようやくこれで父の苦労や気持ちを少し共感できるなあと。しみじみ。

発覚時には囊胞感染を起こしていたが、人生で経験したことのない激痛が、何日も止むことなく続いた。
食事はおろか、水を飲むことさえできない。薬のところまで這っていき、鎮痛剤をようやく飲む。激痛で眠ることもできないが、薬が効いている間だけ、わずかに眠ることができた。だが、すぐに目が覚めた。
そんな日が2週間ほど続いたが、どうにか快復した。あれはもう勘弁願いたい。

進行度合はと言うと、おれの腎臓はすでに、一般的に健康な人の約5倍ほどの大きさになっていて、年齢の割には進行が早く、このままいくと10数年のうちに透析が必要になるかもしれない。とのこと。
また、高血圧と脳動脈瘤を併発しやすいという厄介な最恐コンボを秘めている。
が、血圧も腎機能もギリギリ正常をキープ、動脈瘤も無かった。セーフ。

まあ進行が早いと言っても数十年単位で進行する病気だし、今は進行を遅らせる薬や療法も発見されている。透析した場合の予後も比較的良い。
iPS細胞などの再生医療をはじめとした、医学の進歩にも期待できる。
だから、食事とか気を遣えるところはもちろん気を遣い、反面あまり気にしすぎないように生活している。

病気になって思うのは、人間いつか老いて、病気になって、死んでいくんだなあということ当たり前のこと。
誰もに起こることなのに忘れがちなことで、一般的に健康な人よりハッキリとそれを意識した。

すぐにどうこうなる事はないが、今後は色々と制限も受ける。
だからできるうちに、今までよりもたくさんの経験をしたいし、過ごす時間を充実させていきたいし、新しいことにもチャレンジしていきたい。

この病気でなければ得られなかった経験、気づき、出会いを得ていきたい。
病気のせいでと嘆くより、病気のおかげでと感謝する数を1回でも多くしたい。
そう思うようになった。

同じ病気を患い、10年以上透析を続けている父を思う。
ふと、独立の話が思い出される。

「佐渡にチョコレート工場を作れないだろうか。」

独立。難病。二つのワードが頭の中で結びついた。
島を出て20年。俺は故郷に帰ることを決意した。

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3.そして伝説へ

年に一度ほどは帰省していたものの、本格的に帰るのは実に数十年ぶり。
俺の中の佐渡は古臭く、刺激がなく、年寄りしかいない島。
しかし帰ってくると佐渡の様子は一変していた。

地元には佐渡を盛り上げようとする人がおり、移住者が増え、今まで無かったお店が増えていた。
20年の間、俺も僅かながら成長したが、佐渡も進化していた。
イケる!
今の佐渡なら、今の俺なら、このビジョンを成功させることができる。

しかし何せ新しいチャレンジだ。
うまくいく保証なんてどこにも無い。
離島ならではの厳しい現実もあるだろう。
事業でコケて、借金をすることになるかもしれない。
だけどそれは人生の失敗ではない。
コケることを失敗を遅れてチャレンジしないこと。これこそが人生の失敗だ。

「人生は一回。それも短い。」

尊敬する北のMCの言葉が響き渡る。
そうだ。短い人生だ。特に俺には人よりもさらに短いリミットがある。
何を恐れることがあるのだろうか。迷っている時間などない。
おれの人生をかけたチャレンジが始まった。

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と、まあ実に3本のブログにまたがって、僕の自己紹介をさせていただきました。


どんなお店?どんなコンセプト?どんなチョコレート?
こちらの記事で公開しました。


大馬鹿もののチャレンジをどうぞ見守ってください。

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