悔しいのは真剣になった証拠だって言うけれど。

半分諦めてるのになぜか悔しくて泣きそうだ。透けた敵意を過剰に感じて恐れている。やっぱり信頼できないと思った。自分が緊張しているように相手も距離を置いているのかもしれないけれど、ここは割り切ることができない。

どうしようもなく感情が溢れている。本屋に来たけれど欲しい本はなかったし、足の力も抜けてきて座りたい。

悔しいなら苛立ちに変えてしまうべきなんだ。ここにいてはいけないって分かってるんだから早く脱するにはどうするのが早いか考えれば良い。頭では分かっているのに気持ちは理解してくれない。

このままこの時間が嫌になったら本末転倒だ。嫌になるためにしてるわけじゃない。できないんだから頑張ればいい。折られたくないところだけ意思として残しておけばいい。

やりたくないことでやりたいことが見えてくる。苦手なことで得意がないことに気づく。落ち込んでいく。何もできない気がしてしまう。

どうすれば開けるだろうか。裏切りじゃない、試しているんだ。自分が楽しめる方法を、この先も生きていける術を模索している。

楽しみよりも緊張や不安が大きくなってしまったからもう終わりは見えている。でもとりあえずは続けるよ。だってこの先に行くためにはここが必要だから。

精神論だ。熱くなっている。きっと夜には熱は冷める。不満や不安が冷たい異物となって残るだろう。そしてまた眠れなくて明日も起きられなくて悪循環に嵌るんだ。分かってるんだからもっと俯瞰で見れば良い。

神様だったらどうするだろう。敬愛してやまない人たちだったらどうするだろう。怒りに任せて熱を発するか。そこまでしたら次は、そばにいてくれる人がいなくなることが怖くなる。どこまでも弱くて愚かだ。

今日は早めに起きて、出掛けて、そんな気持ちになって、これから会いたい人に会う。泣きそうな感情を抱えて会うのは申し訳ない。楽しませたい。相手も自分も好きなら楽しい方がいい。

好きじゃないし、信頼を感じないから、信頼できなくてもいい。でもここを乗り越えれば何か見える気がするんだ。もう少し楽観的に生きていてもいいじゃないか。

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