たったこれだけなのに、これだけ変わる日常と存在。
今日は久しぶりに午前中に起きた。また寝てしまいそうな脳を揺さぶって、体を無理矢理起こした。
そして、ご飯を作って食べた。たったこれだけなのに、こんなに時間がかかるのか、と思った。
食べ終えて、いつも通りだらだらする流れになったけれど、そんな日々はもう辞めたくて今日は椅子に座った。
書いていたことを整理して、覚えられなかったものを簡単に見て探せるようにした。たったこれだけなのに、こんなに変わるんだ、と思った。
それから夕方になるまで短時間だったけれど集中していたからなのか、凄く長い間頑張ったみたいな感覚になった。
そして、ラジオみたいな過去の声を聞いていた。気付けば何時間も経っているから怖いな。
没入していても、意識が遠い感じがしても、同じように早く過ぎていくみたいだ。どちらも嫌じゃないということなのかもしれない。きっと、どちらも本当に意識が遠いところにあるんだ。
意識なんて捨ててしまえば、全てが一瞬で過ぎ去るんだろうな。
最近、何もしていないのは、気付いていないだけで心のどこかでそれを望んでいるのかもしれない。厄介なのは、重くて鈍い肉体だけじゃなくて、軽くて鋭い精神も同じだ。
ここ数日、存在について少し考えている。友人の感覚を聞いていて、なぜか躓いてしまって、それから物理的に存在することはどういうことなのかたまにぼんやり考える。
光がなければ見えないし、見えなくてもぶつかるし、かといって見えなくて触れられなかったら存在しないということでもない。でも見えなくて触れられないものの存在を自分は認識できない。
数字として、実験を通して正論を求めているのではない。自分や他の人間は何を感じて存在を信じているのか考えたいだけなんだ。
ただそれだけだけど、確かに存在した日だった。
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