本当に何もないだけだったらどうしようか。
今日は早起きした。チャイムの音で目が覚めて、扉を開ける。久しぶりに受け取りのサインをした。これまでしなくても成り立ったのだから、これからもそうすればいい何と思った。
寝ぼけたまま箱を受け取って、部屋に戻る。頼んでいたCDが届いた。今日はその新譜をずっと聴いていた。詩だけで読むと分からなかったことが、曲で聴くと分かった。正解かは分からないけれど、自分の中でしっくりくる答えがあって音楽ってこういうことだと思った。
昼ごろご飯を作って食べて、昼過ぎには出るぞと思いながら眠気に襲われた。ちょっと寝た。
夕方になったけれど、カメラを持って外に出た。民家を抜けて、工場を抜けて遠くまで歩いた。
紙が積まれた工場の前でパンの匂いがした。今読んでいる小説の主人公はパン工場で働いているからその匂いが嫌いだということを思い出していた。
網目状にどこも同じような道だ。前に友人が住んでいたアパートは見つけられずに、立ち入り禁止になった公園を眺めた。
もっとずっと歩いて知らない公園があった。子供が外を歩いている。自動販売機に向かって歩きながら、あー、あー、と言葉にならない感情を叫んでいた。
彼とすれ違う前の角を曲がり、少しだけ見えた猫を追いかけた。真っ直ぐ並んだ植木鉢を見ていたら、後ろから声がした。あー、当たった、とまた叫んでいる。ジュース当たった、と公園の中の友達に向かって叫んでいた。
伝えたい気持ちが強すぎて、そんなに叫ばなくてもいいよと思うくらい大きな声だった。でも友達はあまり関心を持っていなくて、それも子供らしくて良かった。
しばらく進んだ交差点にベンチがあって、そこに座って、公園の風景を詩にした。曲に乗せられない言葉だ。
だんだん日も暮れてきて、影もはっきりしなくなった。工場からは主婦達が出ていく。帰り際に立ち話をしている。
夕方になって帰ったり、夕方になって来たりして、みんな働いている。自分は写真家気取りか。恥ずかしいな。でも体を動かしたらその分何かできそうな気がした。
音楽に押されて、詩に刺されて、まるで何かを持っているような錯覚を起こしてしまう。でもそれが錯覚かどうかはいつかにならないと分からないし、いつまで経っても分からないままかもしれない。分からないままなら持っていないのと同じで、みんなが正しいということになる。
いつでも甘えてしまうけれど、自分の機嫌くらいは自分で取らなくちゃ持っていても気づけないな。
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