大好きだから、偽物でも疑わずにいたい。
日が変わって、聴きたかった曲を聴いて、見たかった番組を見た。深夜、とにかく嬉しくてとにかく楽しかった。誰にも気を遣わないで、自分の気持ちに正直でいられる幸せを感じる。
声は枯れているし、眠くもないけれど、何でもいい。まだ日が明ける前でも外に出て自転車を漕ぎたくなった。
何でもいい。本当に何でもいい。そんな気持ちになれるのは、そんな気持ちが許されるのは、本当に恵まれているからなんだ。
音楽を聴きたいから散歩にでも行きたい。それだけを味わいたい。
満たされるのに他人は必要ない。満たされるのに他人しか必要ない。
両方が同じように聳えているけれど、その矛盾は存在してしまう。文章が成立していなくても、いつかの自分はきっとこの興奮と熱量を感じてくれると信じている。信じるのは自分だけでいいから、大切な人を疑わずにいたい。偽物でも信じていたい。偽物は悪ではないし、悪だったとしても絶対に排除しなくちゃいけないわけじゃない。
好きだから偏る気持ちこそ人間らしさだと思う。数年前から漂う悲しみと寂しさはこういう時に溢れて落ちるんだ。泣きたくなんてないのに、気持ちは勝手に零れていくし、笑いたいのに、ひとりで勝手に覚えているし、いつもこうで困るな。
夜は寝なかった。昼になったからそのまま起きて、音楽ばかりの夕方を過ごした。
繰り返しすぎて、格好良いか悪いか、好きか嫌いかも分からなくなっていた。日が変わって何回か聴いただけの曲を流していたら、もっと深くまで届いた気がした。
音も取れないけれど、歌えた。過去は重ならないけれど、感じた。彼は寂しさを感じられる人なんだろう。自分が知っているよりもっと濃くて暗い孤独を知っているかもしれないし、上辺だけの言葉なのかもしれない。真実はどうだって良いんだ。
何があっても何を思っても、日々は続いていく。その退屈や絶望感や優しさは、偽りなくいつまでも感じていたい。
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