その実感さえ妄想になる日は来るだろうか。

昨夜は早く寝たのに今日起きたのは遅かった。早めの目覚ましが鳴った記憶は微かにあって、気づいたときには昼前だった。

起きて、文字を書いて、ご飯を食べて、ギターを弾いて、なぜかまたご飯を食べて、なかなか部屋を出られないまま夕方になった。

電話がかかってきて、少し話す。一方的に励まされて、いつもこうだと思ったけれど、ありがとうとしか言えなかった。

それからカメラの説明書を読みながら説明動画を見ていると、初めて知ることもあって面白かった。試したくて結局外に出た。

日が暮れ終わるころで、もう少し早く出れば良かったと思った。影や色味が時間によって変わるのは写真の楽しいところだ。

同じ写真は撮れないし、同じ画角でも設定次第で何種類も撮れる。少しずらすだけで別の顔を見せるし、こんなの人間だったら嫌な人だ。でも人間じゃないから面白いだけでいてくれる。

写真は、言葉や物語みたいに時間がかからないから良い。正しさもないけど、間違いもない。だから楽だ。上手い下手はあるんだろうけど、人と比べなければ成長だし、好きな写真を見ればもっと好きな写真が撮れる。

何もできないけど、何かできた気になれる。甘さの中に溺れさせてくれる。体がべたべたになって初めてその鬱陶しさに気づくんだろう。

風呂に入れば汚れは落ちるし、朝になればもう過去だ。

それから誰もいなくなった公園のベンチで詩を書く。写真みたいに、好きな詩を真似してみるけど形にならなくて落ち込む。言葉は下手だとはっきりと分かるし、とにかく格好悪い。空っぽなのが目に見えて誤魔化しが効かない。

こんなに難しいのかと書いてみて初めて分かっても、壁が高すぎて越えられるのか、壊せるのか分からない。自信なんて一瞬で朽ちていく。まだ骨組みが残っていればそれは続けていくという才能で、きっとそれがいちばん強いんだろう。骨組みさえ残っていれば力はつけていけるから上手くなる可能性は残されているはずだ。

こうやって何かを書き続けていても毎日毎日削られていく感じがある。骨組みはもう細くなっただろうか。

でも毎日書いていると言っても、書くと呼べるほど書いていない。書くと呼べるほど書いてからじゃないと期待しちゃいけないな。毎日頭が変になるくらい書いて、それでも駄目なら自分で粉々に壊したい。

夜になってこんな気持ちになっても、どうせ明日を待つだけなんだろう。今夜は何かしていたいからそれに当てるのもいいし、映画でも見るのもいい。

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