社会が歯車のようだとして、どこなら入れてもらえるの。

漫画を読んで、つまらない曲を聴いていた。夜、眠れないから読んでいた。読んでいたら眠れなくなったのかもしれない。

分子とか星とか数多の中のひとつという構造ばかりだった。嘘みたいだった。嘘みたいというより綺麗事だ。分かりきったことを並べて教訓として遺しているだけだ。

大人になって今更こんな本を読んだところで虚しくなるだけだ。早く知りたかったと思うだけだ。気付くのが遅かったけれどもう気づいたことばかりが書いてある。気付くのが遅かったからもうつまらない。つまらなくなってしまった。これから巻き返すのも無理がある。いつでも遅くないと言うけれど、抗えない感性と体力と能力は確かにある。もう確実に遅いんだ。半分読んでそう思った。虚しくなった。

こんなものを大人が流行にしているならみんな馬鹿みたいだ。囃し立てているだけじゃないか。そうすれば売れるから、仕事としては上手くいくだろう。でももう遅いんだ。今更知ったって遅すぎるし、これまで微塵もそんなこと考えたことがなかったと思う人間はどうせ明日にもこの感動や発見を忘れてしまう。

半分しか読んでないくせに生意気だな。後半巻き返してくれるだろうか。もっと自由を感じさせてくれるだろうか。

この時代にこの国で生きるのは恵まれ過ぎているんだ。平和しか知らないから危機感さえもない。自分だってそうだ。でもそれならそれでもっと感じなければならない先があるような気がした。いつか読み返した時、この感覚は思い出せないかもしれないけれど、思ったままに言葉にすればそうだ。見なければならない先のことを思った。具体的な何かはないけれど、豊かに生きているなら拓かなければならない感性があるような気がした。一晩経てば忘れるような気持ちだけど、それでもいつか思い出したいから書くんだ。そのとき諦めかけている彩りみたいなもの踏み台にでもなればいい。

別の小説を読んでいたら朝になった。布団の中にいただけで朝になった。クソみたいな人間が出てきたけれど、彼は豪運でなんとかなったから自分の方が駄目に思えて情けなくなった。

そのまま起きてご飯を食べて着替えて部屋を出る。自転車を漕ぐ。

早めに着いたから本屋に寄って雑誌を読んでいた。淡白なインタビューだった。濃くない良さもあるんだ。

宝くじに祈りをぶち込む人間を横目にまた自転車に乗る。用事を済ませて、帰りにあった公園に入った。誰もいないからブランコに乗ってみた。

誰か見ていたって良いやと居直り漕いだ。こんなに浮遊感があっただろうかと思った。トンボが飛んでいたから同じ目線まで漕ぎたかったけれど、無理だった。ブランコは子供のころから苦手だ。

それから詩を書いて、音楽を聴いて、しばらくそこにいた。太陽が暖かかった。

正午過ぎ、小学校から給食の放送が聞こえてくるころ公園を出た。どのくらいいただろう。良い時間だった。

信号待ちの道端で、バッタの親子を見かけた。背中に小さいバッタが乗っていた。信号が変わり進み出すと、人間の親子が渡ってきた。お腹側に小さい人間を抱えていた。それぞれのやり方で同じように本能で守っていた。

帰りに古本屋に寄って、中古の本を5冊も買ってしまった。忙しくないから読む時間はあるけれど、まだ読んでない本がそこそこあるからいつ読むかは分からない。

数百円だった。昼ごはん分くらいだ。外食はできないかもしれない。惣菜弁当なら買えるだろうか。買わないからよく分からないけれど多分そのくらいだろうとか考えながら帰った。

気付けば本屋で2時間経っていたみたいだ。時計を見て声が出た。2時間で背表紙とあらすじ読み放題数百円なら良い時間だったと思う。

他は寄り道しないで早く帰った。眠っていないことも意識しないほど豊かだった。今夜は早く寝る。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?