歪みだって横から見れば直線で。
今日は昼ごろ起きた。昼ごろまでラジオを聞いていたんだ。何もせずに耳だけの生物みたいに生きていた。
笑ったり驚いたりするものだから、だんだん口や手も形を取り戻して、昼ごろ起き上がって自分に戻ったような感覚だった。
それから文字を書いて、ご飯を食べた。お米を炊く。甘い香りも湯気も意識に入れないまま炊き上がった。その音が鳴ったこともすっかり忘れて、夕方へ。
昼ごはんみたいなつもりで炊けた米を食べた。引くほど食べたくて足していくけれど、やっぱり大盛り程度で終わってしまう。
今日は雨が降っていた。夜からではなくて、朝降り出して昼過ぎに止むのは変な感じだった。気温が低くなると雲が耐えきれなくて雨になるんだろうと思っているし、自分の中の無意識的な統計が違和感を覚えた。
これまで昼間だけ降る前を意識したことがなかった。きっとあったし、今になれば教室からの風景が思い浮かぶ。
その違和感が生まれたときの妙な興奮はなんだったんだろう。
まだ夕方、音楽を聴いたり弾いたりしていた。音楽を音源にする方法を知らないことに気づいた。誰かに聞いてみると世界が広がるかもしれない。
それから何かで聞いた歪みという言葉を少しイメージして、人格が針金みたいなものだとすればどれだけ歪んでいても、どこかの角度では真っ直ぐに見えるんじゃないかと思った。多くの人が異常だと感じることをさも当たり前のように信じるのは、その人がその角度にいるからのような気がした。
あとは、書いたり読んだり雨上がりの黄色い屋根を眺めたり、そんな時間を過ごした。
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