言葉しかないから、とか言ってみたいな。

生活の中でやることを済ませたのに、やりたいことが新しく生まれて、それを始めると日は変わった。良い時間になったから後悔はしてないけど、良くないところだと思う。

何が残っているわけでもないけど、感覚として凄く安心感があった。流れに乗って、若さや早さの中に埋もれてしまうと息が苦しくなる。それでしか得られない何かもあるんだろうけれど、今の自分には合わないみたいだ。

それは流行だったり、人気だったりそういうことで、そういうものの周りには芯を突く感覚もあるけれど、もっと簡単で安っぽくて軽い感動が大半を占めていて、そんな簡単に共感して分かった気になっている感想に囲まれると自分を見失いそうになる。見なければいいのに見てしまうから、本体を遠ざけてしまうのが手っ取り早い。

みんなと同じのみんななんて存在しない。自分は小さい頃から都合良くみんなを登場させてきたけれど、いないことは知っていた。でも上手くいっている人たちのことを指していたのは確かで、自分の弱さを棚に上げてくれるためのみんなだった。

そんなみんなが同じ意見で盛り上がるのは見ていられない。新しい発見や知らなかった感覚を得ることを求めてきたし、それが面白いと思っていたけれど、そうではないみんながそこそこいるみたいだ。彼らは捲る楽しさを知らなくて、答え合わせをしたいだけらしい。大切なのは結果だけなのかもしれない。

誰だって別れは来るから大切な人なんていらない、その感覚は少し分かる。自分だって求めているのは結果だけなのかもしれない。別れる前と後で自分は変わらないと思っているのかな。誰かと出会って感情が動いて育って別れる、その中で揺らがない感性を見つけているのかな。そんなに硬い感受性しか持っていないのかな。そんな人ばかりなら、つまらないのかもしれない。

そんなことを思いながら寝た。今朝は早めに起きて、昼には外に出て昼過ぎに帰って来ようと思っていたのにだらけてしまって夕方になった。いつも通りになってしまった。

昼過ぎには好きな芸人が出る番組を見た。知らない人の感想も、貶し合いも見たくないからちょうど良かった。好きなものを一方的に受け取って、笑って終わる。そのくらいで良かったし、そのくらいが良かった。

夕方になって外に出た。水辺に行きたかったけれど、辿り着かずに舗装された道を歩き回って、開けた土地のベンチに座った。詩を書くぞと意気込んで座り込んだけれど、消費みたいな感じになった。

だんだん肌寒くなったから帰ることにして、途中で鏡に映った自分は緩い服のせいでパジャマを着ているみたいだった。気に入っているからいいんだけど、それならパジャマでくれば良かった。そのくらいの気楽さで外に出たいし、そのくらいの気楽さでで外に出たっていいはずだ。でも残念ながらそんないい感じのパジャマは持っていないから、これからも緩い服で外に出る。

一度帰宅したけれど、買いたいものがあるからまた外に出る。緩い服のまま、淡い夕暮れに溶けそうになるんだ。

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