活気的時代に馳せる、映画的という感覚。
昨夜早く寝過ぎて今朝はまだ暗いうちに目覚めた。寝ぼけていたのに眠れなくて、アニメをみた。そんな気がする。覚えていない。何かを読んだ気もするし、音楽を聞いた気もする。全てしたような、全て夢のような、本当のところは確かめようがない。
朝になって、部屋が熱されていく。耐えきれず窓を開けて、久しぶりに空気を吸うような気持ちになった。そんな経験ないのに伝わればそれでいい、という表現は面白いから好きだ。
今日は映画を見た。見る前に軽い気持ちで調べていたらネタバレを読んでしまって慌てて目を逸らす。肝心の文字だけ印象に残っていて結末が読めてしまった。
きっと予想を裏切る急展開だったはずなのに、予想通りのお馴染み展開になってしまったじゃないか。別に結末だけが気になるわけじゃないんだけど、用意された未来へ飛び込むみたいでちょっと嫌だった。
ここのところ夜な夜な、何十年も前のロックバンドの映像を見ている。言葉が違うと曲として掴めない。ずっと聞いていれば好きなメロディだとか印象的なフレーズだとか見つかるかもしれないけれど、まだそんなところにいないから格好良さだけを見ている。音楽というより昔のフランス映画を見ているような感覚だ。
物語的なミュージックビデオを見て、まるで映画をひとつ見たようと言うけれど、自分はその感覚が分からない。映画を見たことないのかななんて思っていた。
自分にとって映画は物語や結末だけじゃないみたいだ。物語のあるプロモーションビデオより、ただ演奏しているだけのライブビデオのほうがよっぽど映画的だと感じる。
映画は映像だから、映像だからこそできる演出や工夫が見たい。つまり、視覚的なものだと捉えているのだ。今言葉にしてみて分かった。
冷房の効いた快適な部屋でそんなことを考えながら、茹だるいつかの夏に埋もれていた。
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