渇いた汗が形骸化する前に。

昨夜、だらだらと朝方まで起きていた。朝焼けを久しぶりに見たら、雲の影が鮮やかで暑さを忘れた。

昼前に嫌な夢を見て目覚めた。でも嫌な夢のせいでまだ眠かったからまた寝た。昼過ぎに起きて、それでもまだ怠けていたから結局起床したのは夕方だった。

布団の中で物凄い量の汗をかいたから今日はもう風呂に入って外に出るのはやめようと思った。でも寝巻きを脱いで、下着も着替えたらまだ外に出る元気がある気がしてきた。風呂はやめてご飯を食べた。

やっぱり暑くて、窓を開けて扇風機を付けても皮膚がべたついていた。暑いというのは、こういうことだと思い出した。

冷房の効いた部屋でアイスを食べるような生活ではこの感覚を忘れていた。無駄に体だけが疲れて、心は満たされないままの状態になってしまうのは嫌だ。

どこにいっても過剰に冷やされた部屋は硬くて痛い。すぐに表面が冷えるから夏でも羽織りを着て季節感なんて無いみたいだった。快適にするための道具で震えているなんて馬鹿みたいだ。

それにしても肌が気持ち悪い。何度水を浴びたって足りないな。何か分からない熱量が、どれくらいか分からない量と勢いで吹き出している。でもこんなに吹き出すなら何かの力に変えられるんじゃないかな。

起きてから気が付けば夜になる生活はやめたい。だから時間の使い方について考えた。机の上に紙を広げて、時間軸を書いて私の生活を組み替える。この気候とやりたいことと日常を並べて嵌める。

季節が移ろう国で年中同じ生活をしている人間は凄いと思った。私もその循環に入れるときがいつか来るのだろうか。

今日も結局、やりたいことをしないまま暗くなった。目だけを酷使して、体だけが熱を帯びて、知らないうちに脳味噌が空っぽになってしまいそうだ。

そんなのは嫌だ。

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