分岐点でどちらを選んだって始めからここは。

小説と音楽に溺れていたら、時を飛んで朝になった。でもまだ日は登っていなくてカーテンの隙間から差し込む光はない。少し前までは同じ時間でも眩しくて、焦るように逃げるように寝ていたのを思い出した。

正しいとか間違っているとか結果論ではなくて、どうしたいかとか、こうしたらどうなるかとか、そんな好奇心や衝動を最優先に動いたら人間の選択は悪になるだろうか。

ここでこうしたら凶悪犯になってしまうとか、そんな想像をしてしまった自分は変だとか、そんなことはきっと誰だって考える。全く変じゃない。ただ、そのごく平凡な狂気がすぐ近くに存在することが怖い。それがいつ理不尽に自分に向けられても何も不自然じゃないのが怖い。幽霊や怪奇現象を出さなくても怖さは描ける。

その話に立体感を持たせるには細部が重要で、どれだけ脈を張ることができるかでリアリティの濃度は変わってくるんだろう。

朝に寝て、昼に起きた。食事を済ませて外に出た。もうすっかり秋だった。

思うことはいろいろあって、いろんな人がきっといたんだけど、帰り道に小さい公園でギターを取り出す人を見てから他のことは脳内から消え去った。

自転車を止めて、物陰から少しだけ見ていたけれど音は聞こえなかった。声をかけるか迷っていた。かけたかった。何か話したかった。その人じゃなくても良かったのかもしれない、ただギターを弾いている人と友人になってみたかった。通りすがりで知り合いになれたら、それは結構稀なことだと思った。

見ていることに気づかれる前に去ったけれど、帰り道ずっと、引き返して話しかけることで頭がいっぱいだった。

さっき買ってきた肉を口実に部屋に戻っていたけれど、思い切れなかっただけなのを隠していたのかもしれない。今話しかけるべきじゃないと諭されていたのかもしれない。

長袖シャツだけでは肌寒くなっていた。焦燥感に背中を押されながら帰ってきた。部屋に入ればもういくのが億劫になるだろう。もうきっと帰っていると言い聞かせて、数日後には忘れてしまう出来事になるだろう。

正解が分からない。衝動のままに動きたいと思い続けて書き続けているのに、こんなときには思い切れないんだ。考える前に声が出ないから駄目なんだ。それがいいこともあるけれど、帰ってきても煮え切らない気持ちになることだってある。今度通った時にいたらまた考えよう。

そういえば今日は好きな詩が書けた。誰かの受け売りかもしれないけれど、真似ではなく自分の中から出てきた言葉で書けた。

冷たい風は頭を冷やしてくれるからいいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?