手放したいのは、無意識のうちに固めてしまった勝手な優しさ。

人にされて嫌なことはしちゃいけない、とよく聞くけれど、人にされて嫌なことは人それぞれにあるから一概には言い切れないはずだ。

優しさから来る言葉だから根本としては間違ってない。相手のことを考えましょう、どう考えればいいのさ、自分がされて嫌なことはしないの。そんな流れで子供にもそれとなく伝わるように易しく変化していったような気もする。

でもそう言われて育った大人がその言葉だけを真に受けて行動するとしたら、それは別に優しさではないと思った。

今日は午前中には起きて、パンを食べた。スープと紅茶とコーヒー牛乳を飲んでお腹が液体で満たされた。

昼過ぎに買い物へ。雨が降り出す前に行けた。

橋を通る。自転車を漕ぐ足を止めて、川を泳ぐ鳥を見る。足を器用に使って水を掻いていた。

ホームセンターで子犬を眺めて、まだ苗の花を見た。変な気分だった。それからスーパーで必要なものを買って帰る。

帰りに見た川は少し濁っていて、もう鳥の足が見えなかった。道端には潰れた空き缶が転がっていた。空き缶側からすれば、潰された空き缶で、潰した人間だった。

厚みのほとんどない地面みたいな空き缶を通り過ぎて、坂道を登る。車道の脇にある緑色の歩道を自転車で進む。緑色の石が落ちていると思ったそれは、道の破片だった。そのくらい道はがたがたで気を抜けばタイヤが持っていかれるから対向車が来れば逐一止まる。登り坂でまた漕ぎ始めるものだから帰宅するころには足が疲れていた。

帰宅して、ポストを開ける。ガス代が高くなっていて声が出た。調べてみると、水の温度が下がると、その分ガスが必要になって高くなる場合があるらしい。

きっと無意識のうちに時間も長くなっていたんだろうな。


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