浮かぶのは違う感情、続けざまの車内で。
結局なにもないんだ、こんな言葉に力なんてないんだ。伝わらない声で届けたって何言ってるか分からないよ。
そんな塞ぎ込んだ人間にも友人は優しくしてくれて、急に投げつけられた鬱々とした感情もまっすぐに返してくれた。なにより、そんな弱い感情を素直に伝えられた自分に驚いている。
今日は朝から予定があったから早めに起きて待っていた。時間になって、すぐに来て、ちょっと見て帰って行った。効率が良くて助かった。
午後は人と会うからその前に本屋でも行こうかと思ったけれど、調べていたら時間がなくなったから着替えて部屋を出た。
余裕があってもひとつめの信号は走ってしまう。窓ガラスに反射する自分が元気そうでよかった。
午前中は今日は元気がなさそうだという予感がしていたけれど、食事をしたからかそんなこともなくなっていた。駆ける足が軽やかだった。
この間買った鞄を初めて持った。手持ちの鞄を持つことは普段あまりないからどんな感じか楽しみだ。肩にかけるとはいえずっと気にしてなくちゃいけない。好きなものだとそれを身に付けている意識も嬉しい。
昨夜は友人に弱気なことを聞いてもらった。いつもはあまり言えないこともなぜか伝えられた。吐露という言葉がよく似合う様だった。
そのおかげか、気になっていたことはとりあえずの解決をむかえたし、今日は気分が悪くなかった。好きなものを持ち、好きな曲を聞き、好きな時間を過ごす。これはとても健康的なことで、実は貴重なことなのかもしれない。どれだけ貴重でもそれを奪われたくはない。それだけは何がなんでも阻止せねばならない。なんとなくそんな気になった。
来週、友人と会えることになった。嫌われなかったらいいな、とか弱気にならないでいられたらいいな、とかもう考えてしまっている。
それより今日だって同じ気持ちだ。電車を待つ間、ホームから見える歩道を行く子供と目があった。歩道側は大人の背丈からは見えない隙間から、指をさされた。あの子は確実に親に伝えようとしていた。自分はお気に入りの鞄を抱き抱えて座っているだけなのに、これが大切なものだって分かったのかな。子供はいろんなことに気付いてるからそうかもしれない。
きみにだけは見せてあげるよという気持ちで目を合わせたけれど、親が隙間から覗くと気まずいのでそれより早くそっと逸らした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?