この感覚は傾けても光らないけど、その背中に貼り付けてやるよ。

昨夜は何をしていたんだろう。新しい音楽を知ったり、知っている曲も違うように感じたり、なんだかふわふわした時間だった。だって記憶がもうほとんどないから。

朝方寝て、起きたら夕方だった。最近ずっとそうだ。この、最近ずっとそうだ、という意識も最近ずっと持っている。

昨夜、その情けなさを感じたことを思い出した。またその感覚になりたくてその時聞いていた曲を聴く。

こんな友達ほしいなとか思って、好きな人とはもっと無意味に会おうと思った。今日は晴れていたけれど、雨の曲がよく似合っていた。

自分は流行りのカードゲームとかしたことないけど、別にそれに限った話ではなくて、これまで引いてきた線で点になる部分を交換し合えば、ぶつけたそれが光ることだってあるだろう。

とにかく起きてノートを買いに行く。このあいだ間違えたノートの正しい色を手に入れる。

着替えて、外を見ると月が出ていた。限りなく満月に近い月だった。今日とか明日とかいうけれど、本当の満月なんて気づく前にすれ違ってしまうただの刹那なんだ。

窓からの景色を一枚撮って、部屋を飛び出た。店が閉まる前にと急ぐ。自転車の変速が重くなっていたけれど、そのまま漕いだ。力が必要だけど速かった。空気を踏みながら走っているみたいで心地良かった。

閉まる前に滑り込めた。食料を買って、別の店で洗剤などを買う。いつも買わないものは安いのか高いのかよく分からない。でも今日は圧倒的に安そうな空気を醸し出していたから買った。きっと破格だった。

店を出て、カメラを鞄から取り出して肩に掛ける。水を張った広い田んぼがあって、夜空が地面に広がっていた。飛び込めば飛べそうだと思った。

カエルが鳴いていて、カエルの鳴き声で初夏を感じると言っていた意味が初めて分かった。毎年、この鳴き声で初夏を感じられるようになりたいと思った。水面に映る月や看板や空の写真を撮りながら帰った。

言葉通り、帰宅した。買ったものを冷蔵庫に詰めながらノートを買い忘れたことに気づいた。落胆、たくさん、惑乱、みたいな気持ちになった。えらくポップじゃないか、そのくらいの気持ちなら早く行けよ、と今の自分は思う。

プレゼントは買ってもすぐに届かないみたいだから、今度会った時に渡すことにした。早く届くならこの日に会えるかなとか、でも時間がないかもな、とか逆算していた数時間前が懐かしい。まだ買っていないのにそんな冷静になるな、と今の自分は思っている。

その前、いつかの前、詩人の日記を読んだ。初恋の人にまだ惹かれて続けているみたいな気持ちになった。みたいってその気持ちの確かさは誰も知らないはずだろう。

声は更新していかないと忘れてしまう。ここ数年、よく思う。それはとても寂しいことで、自分は好きな声を忘れたくないと強く思っているみたいだ。でも声は形を捉えられないから、正確に覚えておけなくてもどかしい。新しい言葉をその声で再生できなくて初めて、記憶が薄れていると分かるところも寂しい。色を失ったはずなのに、その淡さはなぜか綺麗に広がっていくから忘れたくない気持ちばかりが膨らんでいく。ぼんやりそんなことが浮かぶ日記だった。

ついさっき、買いに行けよと思った自分はもう薄れて、服を脱いで風呂に入りたい意思がむくむくと芽を伸ばし始めた。

いつも片耳で音楽を聴くから気づけなかった感覚を今知った。つまり反対の耳にもイヤホンを差し込んだら全く違う印象を受けて、素直に感動している。当たり前なのに、当たり前すぎてすっかり忘れていた。こういう気づきがあるともっと解像度の高い音で聴きたいとか思うけれど、今は今しか聞けない空気感をちゃんと味わっておこうと思い直した。

そしてノートは明日の自分に頼んだ。

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