いつか許されたいと願っていることも許してくれるのか。

昨夜は映画を2本見た。映画は好きだから見るんだけど、映画を好きで良かったと思った。見た時はそんなことよりもっと狭くて深いところにいたのに、時間が経って不意にそう思った。

世界を変えていけるとか、もっとこうしてやるとかそんな気持ちが世界を動かすのは確かだ。でも平凡で取り留めもないことや時間を取り留める優しさが救う気持ちもある。

拘りや恥なんて大切な人の前ではなんの効力もない。傷つけたくないと思えるうちはまだ大丈夫だ。

寝る前、山に行きたくなって、調べていた。前、衝動的に行った時に撮った写真を見たらちょうど同じ季節だった。この季節のせいなのか、この季節が持つ何かのせいなのか、思い出に縋っているのか分からないけれど、また行きたい気持ちが強くなった。

前に行った時は隣の駅からバスに乗った記憶がある。でも隣の駅までどうやって行ったのか全く思い出せない。それに靴だってあの時のは捨ててしまったからどれを履けばいいか分からない。

あの時はきっと疲れていたんだ。だから思いついたまま行けたんだろう。自然を求めるときなんてだいたい疲れているんだから今だって行けるはずだ。海や空や揺れる木々をぼんやり眺めていたい。いつでもできる今だから、やりたいときにやりたいことをしたい。

それから朝方寝た。今日も昼に起きて、何も変わらずにいた。

夕方が始まる頃、風呂に入って、扇風機を洗った。洗いやすいものを買って良かったと感心していたら、カバーは外れなかった。ティッシュで網目に沿ってちまちま拭くことしか出来ず、大人しくちまちま拭いた。

拭き終えて埃が飛んでもいいようにベランダで回してみようとカーテンを開けると、下の畑に白猫が見えた。網戸を開けると音が聞こえたようで振り返って少し固まっていた。すぐに動き出したけれど、警戒しているみたいでそっと歩いている。誰にも見られていないと思っている猫を上から見ていた。

写真を撮って、扇風機を回していたら猫はいなくなった。

それからすぐに日が暮れていった。窓は開けたまま音楽を流している。封じ込めた気持ちも肯定してくれるような淡い曲で、幸せな夕方には似合わないけれど、暗い夕方にはこれ以上ないほど綺麗に聞こえる曲だ。

あの映画みたいに、土曜日だからと大音量でクラシックを流して踊り狂うような家庭だったら、平日の夕方にこんな曲聞かない人間に育っていたかもしれない。別にどっちだっていいや。

今夜はなんだか落ち込みそうだ。始まりは良かったのにいつからこうなったのかもう分からない。今夜もまた映画でも見ようかな。

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