歪な形の見分けるには、色が淡すぎて。

昨日眠り過ぎたせいで今日は眠れないまま朝になった。鳥が鳴き出して布団から抜け出たら、部屋がオレンジだった。

玄関まで届く光が線を作っている。影を見ないように光で照らすんだよって本に書いてあった。曖昧な記憶だから違うかもしれないけれど、朝の光景と重なった。

洗い物をして、パンを焼いて、食事をした。米も炊いた。送る荷物を段ボールに詰め込んだ。あと数ページだった漫画も読み切って箱に入れた。ここからは何も見えない、でもここからみんなが見える、みたいな終わりだった。彼らはいつも街や街で生きている人々を見ていて、お互いを信頼し合っていた。それが変わらずにあることが幸せだと思った。

街並みは生活が見えるから好きだ。知らない人の知らない生活が確かにあると実感できる。それはとても冷たいことだけど、凄く優しくもある。

ちょうどいい距離感は人それぞれにあるし、相手のちょうどいいなんて想像のしようがないから関係は縺れてしまうんだろう。でも色のない透明な距離をどうにかこうにか察しながら人間は繋がりを保っていく。

一緒にいるというのは凄く難しいから、分からないものを分かるように歩み寄らなくちゃいけない。そんな面倒なことを少しずつ続けて、やっと近くにいられるなんて奇跡みたいなことなのかもしれない。逆に言えば、そんな面倒なことを少しずつ続けていかなくちゃ近くにいられないなんて、理性は邪魔だ。

感覚だけで惹かれ合う人とだけ一緒にいられたらいいのにな。

待つだけの時間にはいつもそんなことを考えてしまう。思考だけがぐるぐる回って、頭はぼんやりしている。どこかの部屋のドアが開く音を思い出した。それは昼より前で、学校に行くか働きに出るか、用事があるか、どこかに居場所があることが遠くに感じた。自分も居場所を作っていきたい。できればいろんなところに欲しい。こんな気持ちも寝てしまえば忘れるかもしれない。

予定が早く進んだら、着替えて散歩にでも行こうと思っている。

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