何よりも難しいのは、それを続けていくことなんだって。

昨日は良い日になった。素直に楽しかった。あまり緊張しなかった。でもそれは感情が揺れにくい状態だということだから、楽しいとか楽しみとかそういう気持ちも感じにくいはずだけど、ちゃんと楽しかった。

淵に立って一歩踏み出した気がした。思い切りは大切だ。嫌だったら辞めようと諦観していたのも良かった。期待していなかったから気楽に行けた。自分にはもっと期待したいし、したほうがいいんだろうな。

でも、みんながこうしているからとか普通はこうするとかそんな計算ばかりになってつまらなくなったら潮時だ。それまでとりあえず行けるところまで進めたら良い。生活をちゃんと進められるようになりたい。自分の足だけで堂々と地を踏めたら気持ちが少しだけ変わる気がする。

覚悟とかそんな大きい話ではなくて、小さな決断で、自分は渦に飲まれたくないだけなんだ。憧れなんて数えるほどしかいない。彼らしか見なくて良い。その他大勢を見ている暇なんてないんだ。

とにかく昨日は良い日にできた。赤い丸に花を散らせた気がする。自分にとってはそれだけが凄く嬉しい。

帰宅して、食欲がなかった。やっぱり緊張していたのかもしれない。それか久しぶりに動いたから疲れていたのだろうか。この感じがずっと続く緊張感には耐えられないかもしれない。でも少しずつ慣れて、この程度では足りないくらい激しくなりたい。

今日は午前中に目が覚めた。眠気が一切ない状態だった。来ていた連絡を返す。アイデアを課されてベッドに転がって考えていた。頭では浮かぶし空気感としての理想はあるけれど、それを文字で伝えるのが難しい。長くなっても分かりにくいし、少ないと伝えきれないし悩んでいた。次に会った時にまだ感覚としての理想が残っていたら伝えようと思った。

だんだん文章が、語尾が、気になり出して、このままだと遅くなってしまうと悟ったから勢いで送った。そのままだらだらしていたら昼になった。

昼からはギターを弾いていた。言葉だけ知っていたコード進行というものを調べてみたけれど、さっぱり分からない。理論が分からないから専門用語が繋がらない。もういいやと投げ出して感覚に任せた。知識だけを持て余して熱が冷めるのは嫌だった。

夕方、買い物へ行った。転がった蝉は、腕が閉じていれば死んでいると聞いたけれど、背中が上を向いているときはどうやって確認すればいいんだろう。そっと避けるしかない。

自転車を漕いで橋を渡って、大きな鳥が滑空する空を眺めながら帰った。初めての道を通ったら、進みたくないと頑なに立ち止まり続ける犬に、帰るよ、ほら、こっち、と優しく促す人間がいた。その人はすれ違う時、ちょっと恥ずかしそうだったのが良かった。彼らが無事に帰れていたらいいなと思った。

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