季節は剥がれていくものだとして、もっと奥へ向かっているのだろうか。

昨日、帰りの電車でたくさん詩を書いた。ぼんやりした意識で深層みたいな状態だった。

人と会っていたときのことや、その後に寄った本屋のことを思い出していた。まだ混み合ってはいないけれど、席は埋まって数人が立っている車内で、夜の暗闇を裂く力に加担していた。

雑誌を立ち読みして、たった2ページだけど買いたくなった。でもたった2ページに払える額じゃなかった。忘れないように脳に焼き付けて店を出た。

視点や価値観が変わっていなかったみたいで嬉しくなった。変わらないように変わり続けるような人だった。どのインタビューでもずっと同じことを言っている。一度読めば他を読む必要がないようなことだけど、それを重ねている人がいることに励まされた。ただ、そんなことより写真が凄く良かったんだ。

最寄駅で変な人を何人か見た。危ないほうの変な人だった。危ない方の衝動を持つ人間だったら、彼らの背中を蹴り付けたり、押し付けたり、睨んで怒鳴ったりしていただろう。自分はちゃんと飼い慣らしているからそんなことはしなかった。

帰宅して、夜、映画を見た。何度も見ている陰鬱な話をまた流した。見終えて、感想を書いた。過去に書いた感想を読み返したらそっちの方が感情を上手く言葉に嵌め込んでいて悔しくなった。もうその感覚にはなれないのかもしれないと寂しくなった。

今日は昼ごろ起きて、食事をして、連絡を返したり待ったりしていた。予定が決まらない。今のところ空いている日で決めれば良いのに、決まらないから腹が立つんだ。日程さえ決められないなら、気持ちがないと思われたって仕方ないだろう。

それから夕方までいろいろ調べて聞いて、悩んで提案したけれど返事がないから虚しさを抱えている。こんなところで躓いてしまったからきっともう上手くいかない。自分の気持ちの熱はそこまで持たないみたいだ。

今日は外に出たかったけれど雨が降っていたからやめた。やりたいことはいくらでもあるから退屈ではない。

数年前によく聞いていた曲を聞いても今の生活に馴染むことはないし、そもそも過去の歪みと今の歪みが嵌まり合うわけがない。今の感性に馴染まないなら、それは自分の中の流行だったということだし、それで彩られる日常が確かにあったんだからそれで良いんだ。

流行として去ったものは後から触れると懐かしくなる。そんな曲を聞いていた。思い出せない曲もあって、過去の瞬間が剥がれていくみたいだった。


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