宇宙に果てがあるのなら、永遠はないのだろう。

今日は目覚めてからテレビをつけて、音だけを聞きながらまた布団に潜った。でも9時には起きてニュースを見た。

それから起床して、午前はドラマをずっと見ていた。溜めていた後半を取り返すように見た。まだあと2話残っているけど。

一緒の思い出や知っている真面目さのせいで、信じていいのか、疑わないといけないのか分からなかった。

大切だから嘘でも信じたくなる。

大切だから本当を疑いたくなる。

誰かと生きるとはそういうことの繰り返しだと思う。

昼ごはんを食べて、夕方までまた布団に潜っていた。日が暮れる前、着替えて散歩へ。

昨日からのお気に入りの曲たちは、淡い空の時間に合うと思ったんだ。今日は肌寒くて風が体を押すような気候だった。

西日は眩しくて、まっすぐ太陽を見ることは出来なかったけれど、そういう逃げや恐れを詩に込めた。

気付けば、いつまでも、どこまでも遠く遠くを目指していて、もっと向こうまで行きたいと常に望んでいる。

気付けば、いつだって、どこだって近く近くしか見ていなくて、ずっと向こうまで続く永遠になりたいと願っている。

本当のことも、世界のことも、大切な人のことも、何も知らないから、ただ言葉を並べて分かったように振る舞っている。

夕陽に照らされた落ち葉や、影になった鳥たちは綺麗だったな。

それを無心で踏める人間にはなりたくない。

帰り道、玄関を開けっ放して、ハウス!ハウス!と言う人を見た。犬は2匹、車1台分の駐車場ではしゃぎ回っていた。なんだか微笑ましくて、じっと見つめていた。

紫の花の周り、今日は虫が飛んでいなかった。この間より近くを通って歩いた。人工的なラベンダーの匂いがしたから、これはきっとラベンダーなんだろう。本当は見た目でも分かっていた。

人工物での経験から自然物を見極めるのは変だ。それは脳内で、偽物から本物に繋いでいるということで、そんなことができてしまう人間の機能を恐ろしく感じた。

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