見つけて欲しいものはもうここにあるのに。

昨日は遅かったけれど眠ろうと決めてからはすぐに寝たような気がする。今日は昼に起きて、食事と着替えを済ませて外に出た。

好きなバンドのシャツを着た。いつも被る帽子も鍵につけたキーホルダーも同じバンドのグッズだからライブに行くみたいだった。少し恥ずかしいけれど分かる人は同志だから気にしないことにした。

自転車で裏道を抜ける。突き当たりの家には小屋がある。そこで暮らす動物のことをずっと想像していたのだけれど、今日初めて見ることができた。犬だった。小屋から出て外で横に倒れて微睡んでいた。

微かに開けた目がこちらを向いている。自分も見ている。目が合っている。止まることもなく足は自転車を漕いでいるから、視線も動いていく。自分の視線が前方と犬を何度も往復している間、犬はずっとこちらを追ってくれていた。嬉しかった。

そういえばこんなに目を合わせることがなかった。友人と会っても、帰宅してもっとちゃんと目を見て喋るべきだったと反省してばかりだった。今日はそれができたから、帰宅しても朗らかなほのぼのした気持ちでいられる。

そのままお別れして、目的の店へ行く。混み合っていた。最短ルートで買い物を済ませた。

ついでに遠回りして本屋へ行った。久しぶりに行った。休憩用の椅子は疲れ果てた人間が陣取っていて、なんだか不安になった。

本やCDやDVDを見て、文具まで見て店を出た。下校中の小学生とすれ違う。彼らは朝からこんな時間まで勉強や運動をして、人間関係や分からない問題のことや、その他にもいろんな悩みや不安と闘って今帰っているんだと思うと、酒と野菜と果物だけが入った重いリュックを背負った自分が情けなくなった。

掃いて捨てたい気持ちが溜まっている。もう戻ってこない感覚があることに気づいて絶望している。あのときに無限にあると思っていたものは期間限定だったんだ。早く教えてくれないからこんなことになってしまったんだよって、誰に言えるわけでないけど誰に言えるわけでもないから悔しくなる。

帰りに暮れていく夕方をベンチで眺めた。久しぶりに行ったけれど、眩しくて、狭いような広いような空と水面が相変わらずそこにあった。変わらないでいてくれるから世界は優しいんだ。変わっていくから人間は寂しいし、変わっていからから人間は楽しいんだろう。

どうせ持っているなら使ったほうがいいんだろうけど、上手く使えるか分からないから思い切れない状態なのかもしれない。上手く使おうなんて思わなくていいのに、どうしてそんな当たり前のことを忘れてしまうんだろう。だから人間はいつまでも満たされないんだ。

ベンチを去り、また自転車を漕ぐ。子供に連れられた歩く犬とすれ違う。あの犬だと思った。二度も会えるなんて、このくらいの幸せでいいから尽きないで欲しいと思った。

店先に犬が繋がれていた。正面で対して、繋がれた犬と、ゆっくり進む自分の視線が繋がっている。思わず笑ってしまう。あの犬はこっちかもしれない。似ているからよく分からないんだけど、向こうだって知らない人間のことなんて見分けられないだろう。

店先に繋ぐならどう考えても緩過ぎる繋ぎ方なのに、犬も大人しく座って待っていた。自分は通り過ぎて、道を渡って見えなくなるまで見ていた。

またすれ違うくらいでいいから会えたらいいと思った。

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