同情も共感もいらない、何も気にせず笑ってくれ。

今日も起きたのは昼過ぎだった。寝たのが朝だから仕方ない。

なんとなく味噌汁を作った。冷蔵庫の中には大量の果物がある。みかんとオレンジとバナナが詰まっているせいで、まだ食材はたくさんあると思い込んでいたけれど、野菜が少ないことに気づき買い物へ。

着替えて、靴を履く。今年最後のこの靴とか考えてしまった。全くそんな気分じゃないのに。

そうやって、今年最後の何かを必死に残して、翌日になれば今年最初の何かを必死に見つける。あれをずっと覚えている人なんていないと思う。

たった1日、たった数時間、たった数秒で気持ちが入れ替わることはないよ。

ずっと日々が続くから、この靴もまた履くし、また靴箱に戻すよ。だからこちらの節目のときだけ感謝したり記録に残すのは違うと思う。それなら毎回同じ気持ちで相棒にしてあげるほうがよっぽど優しい。

自転車を漕ぎながらそんなことを思った。だんだん日が暮れる空が凄く綺麗だった。信号待ちでぼんやりしていたら、屋根に止まった鳩がフンをする瞬間を見てちょっと笑った。無防備な状態を見られているなんて気づいているのだろうか。

視線をずらすと月が見えて、淡い時間を過ごしていると思った。

店内はどこも賑わっていて、自分がいなくなるみたいだった。どれだけ見ても野菜は高かったから、結局また果物を買って帰る。

文具屋はもう閉まっていた。

帰り道、もう暗くなった道を漕ぎながら、急に言葉が浮かんだ。凄く納得する発見みたいな意思だった。

無意識の言葉はとても強い。寝る間際や深い集中の中で、削ぎ落とされたように出てくる言葉がもっと欲しい。人生があの瞬間だけで埋まれば良い。誰にも、未来の自分にさえ伝わらないけれど、それが真実だからそれでいいし、それがいい。今の中に溶け込めたような、淡さの中に自分を見つけたような、そんな気持ちに安心するし、凄く愛おしい。

帰宅したけれど、また外に出たい気分だ。用事もないから、ちょっと薄着のまま散歩をするのも良いな。

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