平行線が交わってからの降伏論。

平行は距離が変わることがないけれど、どちらかが折れて交わるならそれは一瞬で、その後はどんどん離れていく。もうあの頃には戻れないし、近寄り方も分からなくて自分さえずれていく。真っ直ぐから程遠い波打った線になっても、距離は遠くなってどれだけ探してももう見つけられない。ただ彷徨うだけの線になる。

それなら平行線でい続けるのも幸せなのかもしれない。それこそが幸せなのかもしれない。

妥協と言えばそれまでだけど、安定した憂鬱が与えてくれる安心もきっとある。

今日はだらだらと昼まで寝ていて、それでもまだ眠くて動き出すのが遅かった。長い動画も一瞬で、短い曲なんて聞いてないみたいだった。

米を炊いたらどれくらい食べられるか挑戦してみたい気持ちに駆られてたくさん食べたけど、そんなに食べられなくてこんなもんかと思った。

日が暮れ始めてから着替えて外に出た。買いたいものを買うために遠くまで歩いた。自転車の空気を入れるのが面倒だったから歩いたけれど、カメラを持っていれば疲れよりも楽しさが勝った。

月を見ながら、反対側には一番星が出ていて、その真ん中を歩いていた。平行線だった。

朝から同じようなことをずっと考えていて、自分も月に唾を吐きたくなった。地球より重力が軽い場所で吐いたら嘘も自分の顔に返ってくる気がした。

帰りは池を見ながらぼんやりしていた。言葉の端くれが寄ってきて、ちょっとだけ手が届いた感覚があった。久しぶりだった。感覚だけで繋いでいけたからもう内容は覚えていない詩ができた。

気分が良くなったというか、少し軽くなったから帰り道はこの間取り込んだアルバムを初めて聞いてみた。名作は色褪せないし、単調でも壮大で刺激がしっかり残っていた。優しさと激しさが共存していた。そういうものが好きだ。

まだ気持ちが柔らかいうちに、いろんな進めたいことに取り掛かりたい。なぞるだけじゃなくて、交差できるようにちゃんと折れたい。

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