ストローの一周する丸の中を覗くような。
生きてるだけでいいなんて本当に思ってるのかな。健康であればとか、幸せであればとか、言いながら口だけなのはどっちだ。
彼らの質問は尽きない。仕事を始めたら始めたで、どんなところか、どんなことをしてるの、次はいつと矢継ぎ早に飛んでくる。結婚だってどうせ同じで、どんな人か、困ってることはない、終いには子どもはとか聞いて来るんだろう。
悪気なく聞けば何だって聞いて良いと思ってる。価値観は人それぞれだって分かっているから落ち着くけど、自分だけの気持ちで感情が高ぶるなら、きっと手がつけられないほど暴れていただろう。
彼らにとっての幸せは確かにあって、自分が興味のないそれなんだと思った。幸せってなんだろう、みたいな映画かドラマかをこの間見たことを思い出した。結末は忘れたけれど、明確に言い切れるものではなかったような気がする。
いつから幸せは輪郭が曖昧になったのだろう。もっとはっきりと決められているなら、その風潮に飲まれて自我さえ失えたのに。疲れないで済むように、もっと簡単に気持ちを消費出来たのに。
嫌なことですり減らせるほうが自由だけど、否が全て自分にあることに耐えられなくなる瞬間もある。どっちもどっちだけど、知らないで済むなら知らないままいたかったこともたくさんある。知っちゃったらもう二度と知らないに戻れないから、知る前もそれなりの価値があるんだ。
壁は高い方が良いと言ったり、簡単に飛び越えようと言ったり、言葉はいつだって都合がいい。でもそんな言葉に縋って頼って過ごしているから何も言えないな。
眠れない間、彷徨った世界でそんな思考をしていた。ストローの一周する丸の中を覗くような感覚だった。
今日は起きて、昼まで文字を書いたりご飯を食べたり漫画を読んだりと充実していたけれど、午後は散々だった。
外に出ようと思っていた気持ちも夕陽と共に沈んでしまった。
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