忘れたいのは、漕げなかった二人乗りの夜。

今日も昼ごろ起きた。文字を書いて、ラジオを聴いて、本を読んでいた。

窓を開けていたから、隣人の楽しそうな声が聞こえてきた。昼っぽくて良かった。鳥のさえずりが聞こえて、柔らかな風が吹いていたから草原で読書をしているような気分だった。

ご飯を食べる前にそっと窓を閉めた。

それから見たかった番組をつけたら釘付けになり、すぐに終わってしまった。授業終わりの残り数分は永遠のように感じられていたのに、楽しいと同じ時間も一瞬だ。あの終わらない苦痛は今でも鮮明に思い出せるのにな。そんな記憶早く消えてくれよ。もっと良いことだけ覚えていたいから。

失敗を忘れて、教訓にもならなくて、もう一度同じ失敗をしたっていい。それよりも、思い出して何回でも楽しくなれる記憶を増やしてほしい。嫌なことを減らすために生きていくのは疲れるのにな。

寒くなって上着を着た。半袖になったり、トレーナーを着たり、その上から上着を羽織ったり、忙しい季節だ。でもきっと街にはいろんな人がいて、植物も活き活きしていて風景が良い。服も選べるし、風もあるし、つまりはちょうどいい季節だ。

だんだん眠くなって、昼寝でもすれば良いのに寝過ぎるのは目に見えているから寝なかった。ただ眠気をずっと感じていた。

夕方、窓の向こうから風の音が聞こえた。雷みたいな強さがあったから、激しめの突風かもしれない。カーテンを開けて覗いても葉が揺れるだけだった。

テレビを見て、問題提起をしていた。意識を変えるとか言うけど、その意識がそもそも差別意識から生まれるものだと思った。どこまでも綺麗事が続くから嫌いだ。意識しないことがいちばん普通に近いのに、なんでそれが分からないんだろうな。

なんで分からないんだろう、の先にもまた個性や差別が待っているから解決なんてしない。

ぼんやりしていたら、右の袖が破れていることに気づいた。惰性で、何も気にせずギターを弾くから弦で擦れたんだろう。こうやって古くなって、自分だけの歪みや傷みがつくものは好きだ。

言わなくても分かってくれた結果だから好きなんだろう。相手が合わせてくれるのを待つんじゃなくて、自分だってたまには形を合わせていきたいと思った。

ドアの端に膝を当てて声が漏れたけど、ドアの端からしてみれば勝手にぶつかってきて勝手に痛がられるんだから、とんだ当たり屋だ。

痛がったのは無意識で、痛みはもう覚えていないみたいだ。暗くなる前にまた風でも浴びよう。

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