入れ替わる習慣、まるで細胞みたく。

不意に、この間教えてもらったことを思い出していた。繰り返せば慣れて覚えていくことも、こうして部屋の中でも思い返さなければ忘れてしまう。忘れたくないわけではないけれど、忘れなかった人でありたいと思うのだ。

数ヶ月前に調べたことや知ったことはもう薄れている。好きで、知りたがったことなのに時間が経てば忘れてしまう。自分が生まれるよりずっと前に死んだ人の名前や、時代や、文化のこと、それに今も生きているミュージシャンの言葉や、最近読んでいる本の内容も、一瞬ごとに薄れていく。それは当たり前だけど、とても寂しいことに感じて、つまり好きなことはなにひとつ忘れたくないと思った。

好きなものを好きじゃなくなったり、嫌いになったりするかもしれない。それでも好きだったときのことはずっと消えなかったらいいのにな。

この動き、誰かの真似事だったはずなのにそれが誰だったか思い出せない、みたいなことが最近いくつかあった。忘れても自分の中にはまだ残っていて、そういうものの蓄積で人格や所作ができているならそれはそれでいい気がした。

癖になればもう無意識で、無意識でも動けるなら自分はいつからか変わったということになる。気づかない間にも言葉や思考は誰かの影響を受けているけれど、自分はその影響をすべて好きなものから得たいんだ。

本当とか嘘とか、時間とか気持ちとか、書き出せない細かいところまで全部、好きな誰かや何かに染まってしまえば、今とは違う自分になってしまえるのだろうか。

今日は起きたらとっくに昼が過ぎていた。

雨が降っているみたいだから外に出る気も失せて、部屋にこもって音楽を聞きながらこんなことばかり考えている。つまり暇なんだ。

これからご飯を食べて、何かに読み耽り、音楽を聞いて、動画を見る、などして夜になるだろう。

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