騙されにいくように信じたいときがある。
夜起きていた。必要以上に感傷的になって、泣き笑いの心を匿うように過ごしていた。
朝方寝て、早朝に起きて、また寝て昼過ぎに起きた。もう1日が終わりそうな曇天だった。
別に自慢したくて続けているわけじゃないのにな。何のためでもないけど。縁をなぞって消えそうな日々をせめてもの線で残しているだけだ。
音楽を聴いていたら外に出る気になって、着替えて自転車を飛ばした。もう夕方だった。
初めて魚を買った。上手く焼くのは難しそうだけど美味しく食べたい。あとは肉や野菜を買った。
肉より野菜の方が高くなっている。木の芽という小さい草が100円で売っていた。大葉1枚にも満たない大きさの枝の先みたいな植物だった。あれはなんなんだろう。
山椒の芽らしい。どうやって食べるんだろうな。たくさん食べるには、あれをひとつずつ買わなくちゃいけないのかな。なんて贅沢品なんだろう。そんなに食べるものではないのかもしれない。
久しぶりにカメラを持って出かけた。色味の設定を変えてみたら完全に過去だった。セピア色だった。それが面白くて外の風景も撮ってみた。
それと今日は同じ曲をずっと聴いていた。この間出た曲が凄く良かった。
自分を疑い続けることこそ開けるのかもしれない。疑うことは確かに信じることで、信じることは手放しに疑うことだ。
分かりきっているけれど、その闇に気づかないふりしてでも入っていきたいときはある。騙されにいくように信じたいときがある。そこまで惹かれるものがあるなら、感覚を信じて進む方が自分は好きだ。
そして簡単に好きなものに染まっていく。他の色なんて見たくもないし、どこまでも偏っていたい。
帰り着くころには日が暮れていた。部屋の中の半分明るいところで日記を書いている。
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