首を振れば鉄の手摺りに反射する光が動くように。
昨夜、少し寝たら目覚めて、好きなミュージシャンのスタジオライブ配信を見ていた。途切れそうなのにちゃんと繋いでくれる安心感がある不思議な声だった。音源を何度も回すだけでは知り得ない顔があることを思い出させてくれた。
部屋の電気を消したいのに、消しに行くその間さえ惜しくて明るいままで見入っていた。広いけれど、こんなに大人が集まれば狭く感じるくらいのこじんまりしたスタジオだった。何本もあるギターはどれも歪んでいない。ほとんどそのままの音みたいな優しさがあるのに激しい。歌声だって尖っていないのにちゃんと詩が立っていて、本物を見てみたいと思った。
この曲を教えてくれた人のことを思い出した。この音楽は世界にばらしたくないから、その子とふたりで好きな歌詞のことなど伝え合いたい。そんなことを思うくらいだから、やっぱりまだ眠気に包まれているのかもしれなかった。
いつもと違うことが少しずつあって、楽しい夜だったからなかなか眠れずに起きていた。どうでもいいのに読んでしまった記事の、気になることが際立って見えた。それについて考えるふりをして、言葉や文字にしてみたら、脳を酷使したような感覚になった。
感じたことはひとりひとりみんな違うということで、みたいな感想は何も分かっていないと思う。その全てを理解しなくちゃいけないなんてないし、できるわけがない。自分のことだって掴めないのに、自分以外の人間のことなんて分かるわけないんだ。自分と、それ以外、そこにあるのはそれだけで、自分にない感覚があると受け入れるだけでいいのにな。どうしてそれだけができないんだろう。これもまた受け入れられていないのかもしれないけれど。
否定だってそれぞれのひとつに含まれることをいつから忘れてしまったのだろう。立場と空気が問題だから、意見を持つことではなくて、その場で伝わる形を残してしまったことが良くなかったんだ。
それはまずいよな。難解な、その語意に、奴等宿る。正しさなど無視するなら自分はここに答えを見つけた気がした。この言葉の意味は、奴等がいろんな方向に群れを成した今みたいなことだと思った。
誰にも何も言いたくなくて、どこにも属せないからちょっと寂しくなって寝た。
起きたのは昼過ぎで、だらだらしていたら夕方になった。起きて、食事をしただけだ。
日が暮れて、月が登る。部屋からちょうど見えた。満月は明日らしい。でもまん丸だった。昔の人はどうやって満月とその前後を見分けていたんだろう。
太陽の光を反射するとこんな色になるのか、と思う色をしていた。たまに凄く赤いし、たまに凄く黄色いのは何が違うんだろう。カーテン越しに見ると、繊維に沿って光が伸びて、十字架みたいな光になった。
初めて聞く曲を部屋に鳴らして、汚くても純粋な気持ちを大切にしたいと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?