消してしまいたいのは、染まれない君と同じだよ。

今日は昼ごろ起きた。外に出る用事もないから部屋にいた。

でも何か出来そうな気持ちになれた。バイトの連絡は断って、新しいバイトを探した。どこにも噛みつけないまま嘆く日々はそろそろ終わりにしたい。

午後、窓の外の斜陽と影を見ていると写真が撮りたくなった。買い物じゃなくても写真を撮るために外に出れば良いじゃないか。カメラを持って軽装で外に飛び出すイメージは固めたけれど、途端に自意識が膨らんできて落ち着かないまま日が暮れた。

誰だって自分のことなんて見ていないし、カメラで写真を撮っていることだって変じゃない。分かっているのに分からなくて結局そのまま風呂に入った。明日はやってみたい。

写真や映像を使えば言葉だって届けられる気がした。考えるよりも衝動を原動力に進んでみたい。一度くらい後先考えず何かをしてみるのも悪くないだろう。

映画でも見ようかと探すけれど見たい映画がなくてやめた。結局何回も繰り返している音楽に戻ってくるんだ。音楽もそうだけど、言葉に助けを求めているんだろう。

裏切られたなんて思うのはどこまでもわがままで、勝手に期待していた自分のせいなんだ。期待外れだって落ち込むし、誰にも期待できないのも寂しい。周りに合わせて疲れるのなら、自分に合わない人は消してみれば良いんだって曲の中で言う。消すなんて直接的ではないけれど、縁を切るのは存在を消すことだから同じだ。そのくらいの覚悟で人と付き合うほうが誠実なんだから、疲れるとため息をつくくらいなら本気で向き合って疲れ果ててみればいい。

最近は、どこまでも純粋で、心の汚い欲望を叫ぶ音楽をよく聴いている。こんなに剥き出しの感情を表現できたらこんなものなんてなくなるかもしれない。いろんなものが吹き出している格好良さがやっと分かった気がする。

さっきまで言葉にしたい気持ちが渦巻いていたのに、実際文字に向かうとどこかへ逃げてしまった。

明日は夕方から雨が降る予報だ。そうなれば日暮れの濃い影は撮れないけど、昼間の真っ直ぐ尖った線なら捕まえられるかもしれない。

ついでに気が向けば読書でもして、溶けた脳を元に戻してやりたい。

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