レコード盤が生まれた時と同じ批判と柔軟さだけが、新しい大切を育ててくれる。

簡単に手に入れられるものは、その程度のものでしかない。それは受け手であっても作り手であっても同じで、簡単に貰えるものは簡単に出来るものだし、簡単に出来ることは簡単に受け入れる人の元へ行ってしまう。

今ちょうど良いのがここだからすぐには変えられない。変えていくべきなのか、これが最適なのか分からない。

でも、重みが欲しいならそれだけの時間と気持ちとお金をかけることで得られるのだから、大切にしたい物事や作品には同じだけ自分を削ればいい。

受け取り方と同じように気持ちの乗せ方も分かりやすくなってしまうのは寂しいようだけど、根本的には変わっていないはずだから私はその厚さを信じたい。

どの時代も新しいものは批判される。でも普及していくものはきっとちょうど良いということだから受け入れる自由もあるはずで、順応していく柔軟さも兼ね備えている。

だからこそ大切なものは大切にしたいし、深く理解しようと尽くしたい。


今日は昼ごろ起きて、着替えて買い物へ行った。果物や肉や生活用品を買って、自転車を漕いで帰った。

音楽を流しながら風呂に入った。数週間で水の温度は変わって、冬と同じ温度では熱く感じるようになった。

風呂上がり、窓を開けても部屋に風は通らないし、空気は暖められてただぬるいだけの箱になる。

私はぬるさの中で、ぼんやり文字を書いて、声を聞いて、失った水分を補っている。

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