真横から見た机の上、みたいな構図で毎日を捉える。

このところ無性に静物画が気になっている。何が好きなのかよく分からないのになぜか見たくて調べてしまう。こんな画面上で目にすることを見るなんて言っていいものか。本物が見たい。せめて本で、紙に印刷されたものを見たい。

大きめの図書館に行きたい。この間読んだ本で得た知識をなぞるように濃くしていく。夜中、そんな時間を過ごして、寝た。

今朝は昼前には起きてぼんやりテレビを見ていた。うるさい番組だった。バラエティとも報道ともいえない、笑いにもならないつまらない番組だった。見たかったところは来週だったみたいだ。完全に時間の無駄だった。

それから食事をして、少し寝て、昼が過ぎた。

音楽を聞いてギターを弾いて夕方を待った。荷物を送って、買い物に行く。たまには歩く。久しぶりに外に出た気がする。引っ越しか、用事か、駐車場に車がいつもより停まっていた。知らないところで変わっていく日々があるんだ。

今日は土曜日だと何回も確認する。食べ物や洗濯や気持ちを調整しなければならない。全てを同じ視点から揃えて見なければならない。そんなことがいつからか苦手になっている。

これは斜め上から、これは横から、そんな視点に慣れてしまったからなかなか直せない。これは意図していないただの怠惰だから個性じゃない。つまりわがままで、甘えだ。

昨夜、友人に連絡をした。信じたいからまだ信じるんだ。縁なんて目に見えないものは簡単に切れてしまうんだから、こまめに書き留めておかないといけない。気持ちだって意思だって決意だって優しさだって同じだ。全部残しておかないとなかったように消えてしまう。そんなのは嫌だから、嬉しいことも悲しいことも言葉にする。自分は絵が描けないから仕方なく文字にする。

静物画は意味もなくただの誇示から始まったのかもしれない。自分も見せつけるためだけに書くくらい上手くなれたら、言葉にした嫌なことのひとつやふたつくらい黒い線で塗り潰してやれるのに。そして優しいことだけ残れば読み返した時に落ち込むことだってないだろう。そこまで行き切りたい。

まるで海でも見ているかのような遠い気持ちになる絵を見たいし、そんなものばかりを吸収していたい。

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