空気が入らないなら、どれだけ漕いでも歪んでいくだけだ。

音楽をスピーカーで流して聴く。こだわったと話していたギターの音を聴きたくて左耳に近づける。単音が入った瞬間、一気に輪郭が消えて溶けてしまった。

右耳に近づけると、逆に単音ばかりが聞こえてきて、歌詞の景色が浮かんできた。もう一度左耳へ当てると、聞こえてくる音全てがまとまってひとつの音楽になった。

左脳と右脳の機能の差なのだろうか。その先入観で聞こえ方が違うように思っただけなのかもしれないけれど、なんか違うと感じただけで凄かった。

今日は昼過ぎまで寝ていた。昨日の疲労を改めて実感する。足が痛かった。

夕方、お腹を壊し、悶えていた。少し経つと治ったので自転車の修理へ行くために着替えた。

すぐ近くだから歩く。自転車に乗れないのだから当たり前に歩く。誰とも話していないと話すだけで緊張する。それを意識せずに部屋の中みたいなつもりで歩いていた。

先客がいて、狭い部屋の角に座っていた。店員は誰かと電話で話している。修理の途中で電話をしていたようで、また修理に戻る。

合間が見つけられずに話しかけられない。扉を開けることもできず、外から覗くだけだった。少し待ってみたけれど終わる気配がないので帰ることにした。

たった一言も話しかけられない自分に嫌になった。相手がどんな人かも分からないのに、強い口調で冷たく対応される様を想像してしまった。でももう後に引けなくなって部屋の角で居心地の悪い時間を過ごして悲しくなることしか考えられなかった。良い人かもしれないのに、その可能性だってあるって頭では分かっているのに、悪い想像ばかりが浮かんできて駄目だった。

何も変わらないまま帰ってきた。肩だけを落として、汗だけを流している。

励ましの意を込めて音楽を聴いている。起きてからずっと聴いているのに、また縋っている。湖まで行きたいけれど、昨日通ったときに草だらけでベンチが埋もれていたことを思い出した。

流れる水は落ち着かせてくれるらしい。だから流れる水なら水路でもいいんだ。嘘かもしれないけれど、自分はその説を信じていて、信じることこそがいちばんの効果があると思っているからこれからも信じ続ける。落ち着けるものやことは多い方がいいだろう。

今日は小説を読み終えたい。最後まで読むと次がなくて寂しいからと勿体ぶっていたけれど、この間大量に買ったから読める。同じ作家の本をたくさん手に入れたんだ。

結末が気になるわけでもないのにたくさん読みたくなる。謎解きでも感傷でもないのに好きだ。描写なのか、言葉なのか、展開なのか、きっとその全てに惹かれていることは薄々感じているけれど、明確な何かだと言い切れないからまだ放っておけない。彼は相当たくさん書いているからまだまだ飽きないでいられそうだ。小説も右目と左目で違う印象になるのだろうか。

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