濡れた肌を撫でてくれる風を探したい。

今日は早めに目が覚めた。起きた瞬間から暑かった。寝ていても暑かったのかもしれない。

友人からの連絡に返事をした。素っ気ない感じになってしまうけれど、それは聞くべき相手を間違えているんだ。どんな返事を求めているのか分からないから欲しい答えは返せないし、相手の言いたいことは自分にとってあまりに当然の感覚だったからそうだねとしか言えない。

まだその感覚になってなかったの、とさえ思う。まだやってないの、と置いてけぼりにされるような宣伝文句を最近よく聞くけれど、あの嫌悪感を自分の中に見つけて落ち込む。まだやってないからなんだ。みんながそれをやったら個性なんて死んでいくのに。それに踊らされる人々を馬鹿にしているようで、自分もその中に含まれている。とにかくあの言い方が嫌いだ。

広告に突っかかるほうが視野が狭いのだろうけれど、広告は案外潜在的に刷り込まれていくような気がしているから些細な気持ちの動きを見逃したくない。

昨日か一昨日、急にやりたいことが進み出して、今それは自分の予期していない速さで進んでいる。上手くいかなければ不満で、上手くいきすぎても不安になる。いつだって落ち着けないのが人間で、それが自らを守る術でもある。

なんて不器用なんだろう。たった一言で伝わるのに、遠回りをしてしまう。好きでいいのに嫌いじゃないって言ってしまう。小さな違いだけど、そのふたつは全く別物であるから本当の気持ちは伝わらない。言葉と感情の距離感は大切で、それこそが価値観であるから合わなければ居れないし合わせる努力を怠ればすぐに離れてしまう。

好きなものや人はなるだけ増やしたい。周りは変わらないから自分が変わる方が早いと聞く。つまり、好きを増やして嫌いを減らすことができれば世界の見え方が変わるんだろう。

今日はなんだか不調だからそんなことを考えていた。

久しぶりに何も持たず散歩にでも行きたい気分だ。風を浴びに外に出たい。音楽を聴きながら道を歩きたい。なんなら強い風でどこかへ連れて行ってほしい。でも風は強くなさそうだから自分で歩くしかないな。

微熱の夜、感じたことのない浮遊感に身を任せるような気持ちだった。

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