さりげない一言で死にたくなる人のことなんて考えないんだろうな。
それでもそんな君を愛おしく思う。人間なんて他人の心は読めないのだから、各々が抱える感覚さえ分かってもらえると過信する方がおこがましい。
おこがましい、って鳥が水を許すみたいな漢字らしい。よく見ると鳥は烏だけど、カラスが大きな水で群れる状況に立ち会ったことはない。せいぜい水溜りで水分補給をする程度のカラスは、水が好きなのだろうか。
好きでも嫌いでも、結果的にどんな気持ちになるかだけが問題だ。ただの音のはずなのにその連続に意味が生まれて、お互いの共通認識だから意思疎通が取れる。話が噛み合うのも、質問に反応があるのも、全部奇跡みたいだ。
会話と違う抑揚で、変なところで区切って、歌にする人もいる。それを聞いて歌詞が聞き取れる。ひとつずつ意識を向けると、今まで無意識だったことにさえ違和感を覚えて何も出来なくなる。無意識で出来ることは無意識でやり続けるほうがきっと楽だ。
でもそれだけでは上達が難しい。上手くなりたいから仕組みを知って、歯車のひとつひとつに意識を向ける。そうすると歯車の噛み合い方やねじの回し方が思い出せなくなって、無意識が全く機能しなくなる。悪循環だな。でも上達も捨てられないからないものねだりで呆れちゃうね。
今日は朝方眠ったのに、昼前には目が覚めた。だから起きてからもずっと眠かった。
ご飯を食べて、文字を書いて、テレビを見ていた。他の時間はほとんどギターを弾いていた。手が寂しいから持っているだけのような感覚で弾いていた。
別に上手くもないけど、上手くなりたくないわけじゃないから気が向いたら手に取る。正直に言えば上手くなりたいけど、毎日集中して同じことを繰り返せるほどちゃんとしてないから今に落ち着いている。
夜、不意に知ったことが衝撃的だった。自分がずっと嫌で、解放されて物凄く楽になったことが、新しい制度を取り入れたことで変わるかもしれないらしい。あと数年違えば、自分の苦痛はなかったものなのかもしれない。
みんな当たり前にできることが、みんなにとって快適かどうか、許せるかどうかは分からない。みんなが順応してやっていけているのだからわざわざ問題にしたり事を大きくしたりはしない。一度言い出せば、言いたくない理由や気持ちを曝け出さなくちゃけないから。きっと一言でねじ伏せられることも目に見えている。自分が傷付くと分かっていながらそんな戦場に飛び込みはしない。
誰が言い出したのか分からないし、その意見も深刻なものではないのかもしれない。もっと柔軟にとか、縛られたくないとか、そんな広い意見かもしれない。それでも、これまで声を上げられなかった人が少しでも楽になれば良いと本気で思った。部外者が勝手に騒いで、当事者が嫌な空気になっていなければそれでいい。
毎日、死にたくなるような少しの苦痛が少しでも軽くなるなら、決まりや規則なんて変えてもいいはずだ。
ぐちゃぐちゃの気持ちとそのままの文章で何も伝わらないな。そもそも誰かに伝えるものでもないし、いつか自分が読み返した時にこの気持ちがちゃんとここに残っていればそれで良いんだ。
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