さっき拭いたはずの汗が、もう流れていく。
部屋の掃除をした。布団のシーツを洗ったし、トイレ掃除もした。ついでに洗った服をちゃんと干したし、支度もほとんど済ませた。
とてもいい調子だった。それなのに朝方になって良くないことが起きた。起きたというか、もう起きていた悪いことに気づいた。
そのときで良かったと思えるかどうかはこの行き先次第だけど、そもそもが良くない。いい気持ちはどうしてこうも簡単に折れてしまうんだろう。神様に慈悲はないのかな。もう少し泳がせてやろうなんて粋な心はないのでしょうか。
もうどうしようもない。自分だけに非があって、でも自分だけでは対処もできないから相談して指示を待つ。泣けてくるよ、もう。全てが悪い方向に進んだら自分は他人を信じたくなくなるかもしれない。
でも全てが良い方向に進んでいて、難なく事が進んだとして、この焦りや緊張はいつまで忘れないでいられるだろうかとも思う。つまりは教訓にできるかということなんだけど、もし全てが上手く行ったとして、同じ過ちを犯さないでいられるだろうか。
昼にはどうにかなっていることだ。でも取り返しのつかないことになっている可能性もある。そこにだけ怯えているのだ。他は今更どうこう言っても変えられないことだからどうだっていい。ただ、自分の意思とは関係のないところで、自分の大切な人を裏切りたくないし、失望されたくないだけなんだ。
少し寝て、起きて、着替えて外に出る。解決に向け動く。するとどうだ、すぐに終わった。あまりにも呆気なく、まるで何もなかったかのようになった。それはいい方向へ進んだということで、まだ信じられるということだ。
違和感をもっと疑うべきだと思った。たしかに感じたんだ。帰り道に引きずるような印象的なことはちゃんと蟠りをなくしてから帰ろう。
見るべきことはあるはずで、いろんなことをもっとまっすぐに捉えたい。口だけならいくらでも言えるのに、いざやるとなるとできない。そんなことをいとも簡単にやってのけたい。自意識さえ着いて来れない物凄い速さで進んでみたい。
今日はこれからまた外に出る。雨が降り出す前に駅まで行きたい。
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