惰性のフォルマリズムなんていらない。

小説を読みはじめたら読みやすくて夜更かししてしまった。そうは言っても予定より少し遅くなっただけで、いつもよりはずいぶん早かった。

日が変わる頃に寝て、今朝は早く起きた。味噌汁を作って、いい朝を過ごす。お笑いを見て、音楽を聴いて、ぼんやりする余裕もあった。

ぼんやりしながら、ギターを数日弾かなくてもなんとも思わなくなったことについて考えた。こうして心や脳は死んでいくんだ。やりたいことや楽しいことは、やらなければならないことに押しつぶされてやりたかったことさえ忘れてしまうのだ。それなら何が楽しくて生きているのか分からなくなる。そうならないように、やりたいこととやりたくないこと、できればやりたくはないけれどやってもいいことを意識的に区別する。そしてやりたいことをちゃんとやる。

少しギターを弾いて、寝る前に読んだ本のことを思い出しながら好きなアルバムを聴いていた。

時間になって部屋を出て、上空のヘリコプターや、生い茂った竹を見ながら行った。

帰り道は少し買い物をして、図書館へ行ったら閉まっていた。祝日の翌日だということをすっかり忘れていた。せっかく常温のものしか買わなかったのに、せっかくここまで来たのに、なんて思ったけれど、早く帰ってまた昨日の続きを読めばいいさと自ら宥め、大人しく折り返した。

勢いよく漕いでいると、急に階段が現れ危うく落ちるところだった。降りて、押して階段を下りる。そのまま踏切のほうへ進むと直前で遮断機が降りた。ついてないなと呟き、引き返して別の道から帰った。

帰宅してからはいい報せがあった。欲しいものがあり過ぎて困る。見たいとか読みたいとか聞きたいとか多過ぎる。この頭はその全てを最大限で受け取る準備ができているのだろうか。できていなくても流し込んでやる。何回も繰り返せばそのうち分かることも増えるはずだ。心や脳が死んでしまう前に水をやらなければならない。苗なら水をやりすぎれば腐るけれど、人間はそうじゃないからいい。好きなものは、できる限りとにかくたくさんでいい。そのくらい過剰でいたいし、その激しさに耐えられるものが欲しいのだ。

今夜は新譜が聞けるのが楽しみだ。少し夜更かしして何回も聞きたい。

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