あの時の手料理だって君のついでだったのかな。

昼過ぎ、熱気を押さえつけるような雨が降り出して、涼しくなった。

数年ぶりに友人から連絡が来て、浮かれていた。でも今は住んでいる場所があの時とは違うから簡単には会えない。学校は、嫌な人に毎日会わなければならないけれど、好きな人に毎日会える場所でもあったんだ。またねと話は終わった。

雨が止んで、屋根から伝う水滴が地面を打つ音が聞こえる。扇風機で事足りる昼下がりは快適だ。

広い風に飛ばされたくなった。手を広げればどこかへ連れて行ってくれるような気がした。

部屋の中で手を広げたところで風を浴びることしかできないので、送られてきた曲を聴いていた。溺愛とか融解とか流行りなのかな。漢字を変えれば違う意味になるから便利で良いよな。それを上手く使えば味になるけれど、どこかで見たような取り入れ方では真似事だ。料理じゃなくてままごとだ。ままごとって飯事って書くんだ。知らなかったな。

客観的に聞けばそのつまらなさに首を振るしかできないけれど、自分が作ったってどうせ同じなんだろう。ここまで書けないかもしれない。

世の中の批評なんてほとんどそれで満ちている。本当に豊富な知識と優れた感性を持ち合わせた批評は腑に落ちるだろう。でもやっぱり批評される側でいたい。

たくさんの人の目に触れて、やっと本当の意味で批判されるんだ。褒め称えるだけの甘い感想じゃなくて、嫌いだとか気に食わないだとかそんなことを言われて怒り狂ってみたい。誰かの感性に触れて抱いた感想なら、壮絶な嫌悪でもきっと嬉しいだろうな。薄っぺらい通りすがりの愚痴ではない、まっすぐ向き合ってくれた結果なら自分も同じ熱量で感情を揺らせる気がする。そんなものを作ってみたいな。

少し小説を読んで、ぼんやりしていたら雨が強くなった。水を飲んだついでに皿を洗おうと思った。皿を洗うついでにご飯を作ろうと思った。雨雲だって雨を降らすついでに日差しを遮ってくれているのかもしれない。

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