どちらに転んでも自分は何も変わらないのが寂しい。

朝起きて、着替えて、少しご飯を食べて部屋を出る。駐輪場の近くにあった巣から鳥がいなくなっていた。その近くの小さな建物の上で、まだ小ぶりな鳥たちが群れていた。

自転車を漕ぐ。犬も人もみんな暑そうだった。

本屋に寄って涼みながら雑誌を見ていた。音楽雑誌コーナーがアイドルたちに侵食されている。このまま派手で煌びやかなものだけが残る世界は寂しすぎる。

昼前に用事を済ませて、帰りに図書館に行った。気になっていた小説があったから読んだ。恋人の友人が、彼の恋人に振られるところまで読んだ。また来るから途中までにして、昼過ぎに出た。

自転車を漕いで帰る。買い物をしたくて店に寄る。昼過ぎなのに学生が多かった。

それから古本屋に行くと、好きなバンドのCDがあったから欲しかったけれど、何かを頑張ったときのご褒美にして今日は買わなかった。

路地裏、鉢植えを持って帰る小学生とすれ違って、彼らは明日から夏休みなんだと思った。だから今日は帰りが早いんだ。明日から町中に子供が溢れるだろうか。全てを見透かされていることに怯えながら過ごす夏なんてみじめすぎる。そんなの嫌だ。

誰かが見るその人なんて興味がない。だから広く浅くなんて欲しくない。欲しくないなら棚に行くべきじゃない。そういう剛性さを磨く時間を若さのせいにしたっていいじゃない、という気持ちで純度だけを追い求めていたい。

帰宅して、窓を開けると鳥がベランダにいた。虫を咥えた鳥と、それを求めて開けた口を向ける鳥がいた。

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