もはや路頭に迷うまでもない速さで。

今日はずっとギターを弾いている。起きてご飯を食べてそれからずっと抱えている。悩みのような存在感で抱えられている。

耳と指が麻痺している。

遠くに聞こえるラジオと、いつかの自分が吐き出した言葉と、いつまでも鳴らせない音と、いつからか鳴っている音と雨を待っている。風は強いのが音で分かる。揺れも実感もないのに外に出る気を失せさせる。

本能の皮を被った理性が今日は部屋で過ごそうと諭してくる。昨夜聞いた曲にえらく衝撃を受けて、同じ人たちの他の曲も聞いて見た。繰り返し聞けるような曲ではないけれど、一度で芯を抉っていくからちゃんと傷になっていた。朝になってもというより、時間が経ったから痛みが増すような激しさがあった。

やっていたこととかなりたい姿とかそんなのはなんでもなくて、今やってることだけが信じられるんだって。今しか見てないんだな。自分も今だけ見ていたい。あれは駄目だったとか、次はこれに向けてとか、そんなどうでもいい画策よりも、今できることを全部注ぎ込んで、できた時にやっているところに渡せばいい。期間とか期限とか、気にしているようで逃げている。

くそみたいな自己啓発本に書いてありそうだけど、そんなことを思った。自分で気づければ良いんだ。くそみたいな自己啓発本は言葉だけで伝えたようなふりをするから嫌いなんだ。気づかせたようで翌日には忘れるような軽い言葉だから嫌いなんだ。読んだことないけど。本当はもっと違うのかな。

こんな食わず嫌いは当たり屋みたいだな。事故啓発本だ。接触して後悔する前にちょっと読んでみようかな。

それで自分は今何もしていない。しているように装って自分を騙している。ただのメモだけ溜まって進んでいない。形にするのが大変なのに、いちばんの山場に踏み込まずに分かったようなふりで誤魔化している。でも登り出したらそれがいちばん楽しいことも知っているはずなんだ。

このままではいつまで経っても麓をぐるぐる回るだけだ。それではただ疲れるだけで楽しみも苦しみも感じられない。それは嫌だ。

こんな熱量が高くなっているけれど、日記に書けることはもうない。手が痛いと嘆くまで文字を書きたい。痺れた手がそのまま飛んでいくまで夢中でいたい。この曲は今は聴けないな、とか思わないでいいようにもっと今を進めていきたい。

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