噴き出した粒に感情なんて嘘みたい。

昨夜は気分が良かったんだ。何をしたか覚えていないけれど、好きな芸人が出ていた番組をいくつか見て笑っていた記憶はある。見ている自分を俯瞰して見ると、その少し前に映画を見た画が浮かんできた。

その後、知らない人のどうでもいい感想に踊らされて馬鹿らしくなって寝たんだ。昨日のことを思い出したら今日のことを忘れそうになっている。

今日は早めに起きて、文字を書いたり、昨夜と同じ番組を見返したり、ギターを弾いたりしていた。

昼過ぎに部屋の掃除をして、着替えて外へ出た。自転車を漕いで買い物へ行った。

駐輪場に落ちたチョコアイスが溶けていた。近くのソフトクリーム屋で買って、食べ始めてすぐに落としたんだろう。そのくらいの量はあった。それを避けて自転車を停める。

店に入るとすぐに、シャツと口の周りが茶色く汚れた子供がいた。この子にとって今日は最悪な土曜日なんだろうと思った。落とした後のどん底の気持ちの上から、余所見してたとか、ちゃんと持ってなかったとか、そんなことを大人に言われてもう人生でいちばん落ち込んでるような気になっているんだろう。

他人だから、客観視できるから、それも子供の夏休みっぽくて穏やかに感じられるけれど、本人からしたら本当に最悪なんだ。自分も子供だったからそのくらいは分かる。でももう大人だから、大人になればそのくらいって思えるよ、とも思える。でも今でも同じ状況になったらそこそこ落ち込むだろうな。やっぱり大人になってもそう簡単に変わらないよって言ってやりたい。

そのままその子の前を通り過ぎ、買い物を済ませて来た道を帰る。蝉が何匹も死んでいた。長生きしすぎる人間が、死んだ仲間の隣を走り去るのはどんな気持ちだろう。どうせ無駄に消費するだけの人生を求め続けるなんて、どこまで強欲なんだと憐んでいるかもしれない。

帰宅して、音楽を聴いている。今日はずっと弾き語りの曲を聴いていた。だらしないという曲が突き刺さって、橋の上でどうしようもなく情けなくなった。

涙のように汗が伝って、その言い回しや感覚を書き留めておきたくて詩を書いた。汗のように涙が噴き出ても、味でしか感情を確かめられない。

味のする感情は火照っているだけだし、味のしない熱情は何かが不足しているし、結局はただの生理現象なんだ。風情がない。エアコンを思い浮かべても涼しくなれないし、汗を思い浮かべても優しくなれないし、同じようなものだ。風情がないんだ。

変わらないこのまま、何もしてない日々でも続いてくるから、変わらないこれから、風呂に入って夏を流すんだ。

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