羽の代わりに言葉を選んだ人間だから。

今日は昼ごろ起きた。でも予報は雨だったから外に出る気にはなれなかった。

何もしないのも嫌だから本を読んだ。はっきりとした偏見が時代を超えて残っていることに少し安心した。全てを受け入れなくちゃいけない社会の流れは時に苦しい。嫌悪感がどこにもないなんてそんな居心地の悪い世界になって欲しくない。

いろんな人がいると認め合えるのは優しいけれど、嫌いに素直になれるのも人間らしいと思う。

それから風呂に入って、洗濯を干して、音楽を聴いていた。最近気になるバンドが数組いて、もっとたくさん曲を聴きたくて堪らない。有り余る時間があるのにまだ足りないくらいだ。

長いイントロも気持ちを高めるにはちょうど良かった。長いアウトロのことを、後半は歌詞がないと書いている人がいて視点が面白かった。

聴いていたら弾きたくなってギターを持った。そのついでに気づいてないふりをし続けていた故障の修理を試みた。

家でも出来そうだったから、これまでも調べながらちまちまやってみてはいたけど思うように外れなくて締まらないから諦めていた。今日こそはと工具を取り出して、つまみを外してみる。外れないと思っていたけど力を込めれば案外簡単に外せた。足りなかったのは思い切りだった。

それからご飯を食べながらドラマを見る。充実し過ぎている。

ドラマの中の人たちはもっと充実しているように見えた。自分と重なる人物などいないのに、無意識に重ねてしまう人はいて、その人は素直になれない自分が嫌いみたいだった。

悪いことなんてしてないのに、自分がいちばん偏見を持っているから堂々とできない。全てを伝える必要なんてないし、隠し事がないことが正しいとされるのは窮屈だ。

誰だって世界や社会と折り合いをつけながら生きているんだろう。自分はその線引きの仕方を知らないから迷子になって、どこに行きたいのか分からなくなっている。

目に見えない誰かでいいから、この体を引っ張ってくれればいいのにな。

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