イメージは元気な猿で、隣には尖った魚も含まれる。

自分の中でどうしても曲げられない、妥協できないことは、周りを変えるしかない。他人は変えられないけれど、自分を許してくれる人の群れに属するのは逃げじゃなくて適応だと思う。人間として、生き延びるための術なんだ。

考えることを与えられて、たくさんの発明をして、たくさんの知識と知恵で生き延びてきたのに、その思考力のせいで苦しめられる。

尻尾が長くて木登りが得意だったのに、その尻尾が重くなり過ぎて木に登れなくなるような、大きなヒレで泳ぐのが速かったのに、そのヒレが大きくなりすぎて沈んでしまうような、そんな動物としての滑稽さがある。

数日前にも同じようなことを書いた気がしてきた。数日前にも同じことを思ったんだろう。数日前からずっと思い続けていたのかもしれないし、数日前と今日は全く違う思考なのかもしれない。形にならないから本当を確かめることはできない。寝る前にぼんやりそんなことを思った。

起きたらもうすぐ夕方で、部屋は薄暗かった。ご飯を作って食べて、何度も見た好きな番組で笑っていた。

友人と会う予定を立てて、友人からの誘いを断り、少しだけ世界と交わった気がした。

体調が良くないから何もする気にならなくて音楽を聞いていた。ミュージックビデオを見ていた。海で花火をする人々を眺めていた。公園の蛇口で水を霧にしている人を笑っていた。

アコースティックライブの映像を見ていたら時間が経った。ギターの太い弦を、切れそうな力で弾く彼の曲が真っ直ぐ入ってきた。故郷も東京も、遠い国も隣の君も、全部が繋がっているみたいだった。それは普遍的だけど、ありきたりな言葉じゃなくてありきたりな感覚じゃないところが良かった。

狙った過激よりも、純粋な狂気が見たい。周りが見えなくなっても、それしか出来ないと泣きならから貫き通すような生々しい痛みにしか伝えられないものはあると思う。

自分もそんな恥を撒き散らして生きていたい。

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