廃盤になった音源の狡さは、どれもなぜか優しい。

今日は早起きしたのに二度寝してしまって昼過ぎに起きた。昨夜は良いことがあって眠れなかった。予定を立てて、とにかく興奮していた。

それとは別の今日の予定は流れてしまったからゆっくり過ごした。会いたかった人の誘いを断ってまで空けていたのに、なくなってしまって残念だ。

起きてから食事をして、音楽を聴いて、弾いていた。音を聞き分けられないから調べて違いを知る。弾けなくて諦めたキーボードを引っ張り出してきて、隣の音がなんだとか、その間だから半音上がるとか、理解しようと試みていた。理論が分かるわけでもないので、知識が頭の中が散らかってしまった。

間違えてばかりで覚えられないので今はこれ以上やるべきではないと一旦手を止めた。子供だったらもっと吸収が早いんだろうな。今がいちばん若いという言葉を思い出してなんとかやり過ごしている日々だ。

気付けば夕方で日が暮れてきた。部屋が暗くなってきた。まだ数時間しか過ごしていないのに終わりかけている今日を振り返っている。授業後の感想みたいだ。

そういえば感想用紙だって要領良く形式立てていつも同じように書いていた。当たり障りない言葉を当てはめて長い文章を提出していた。間違えた意見にならないように馴染もうと頑張っていた。今思い返せばもっと自由な感想を書けば良かったと思う。他の人と視点が違っても、感想に正しさなんてないんだから素直に書けば良かった。

ぽっかり穴が空いて生まれたような日に、今後の予定を聞かれる。帰る日や、行く日や、集まる日や、会う日を決めようと促される。それが決まると、その日までにやることが確定して、その日まで日付で区切られた計画表が生まれる。自分はその枠を持たずにいたいのに、誰かと会って何かをするときそうはいかない。

縛られるなに縛られてるってこういうことか。縛られる楽しさもあるかもしれない。その枠を意識して毎日捲るように過ごしてみるのも楽しそうだ。

今は緊張から解き放たれるよりも、緊張できるほど向き合える熱を感じるときなのかもしれない。それなら味がなくなるまで興奮を味わってみたい。

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