光が届かないところは全て黒い、なんてことはない。
今日は午前中に起きて、だらだらとテレビを見ていた。いつも何していたっけとか考えて、退屈を持て余す。
外に出てもよかったけれど、雨が降るみたいだったから今日はやめておこうと気持ちが変わる。
食事をして、まただらしなく過ごす。いつもと違うギターを弾いたら耳が疲れた。指も疲れた。切れそうで切れない、切れたら困るくらいの痛みに似た違和感が人差し指にまとわりついている。
夕方はラジオを聞いていた。売れたけど貯金をしない芸人の話を聞いた。生活や価値観の軸がお金にないからできるんだろう。貯まったって数字にしかならないなら、大切な人と使った方が楽しいし面白くなる。本人がどこまで考えているか分からないけれど、きっと感覚としてはそんなことを思っているのだろう。どこまでも芸人で格好良く思えた。
それから食べかけのチョコを放置して、冷たすぎるコーヒー牛乳はぬるくなっていた。
ぼんやり見ていた宇宙の番組で、惑星の外、宇宙の空が黒いことが気になった。白だったら随分違う印象を受けると思った。神秘的で星の輝きが映えるから、黒色や紺色の表現を始めにした人は凄い。それは現代まで続いて、図鑑の中を彩っている。単純に考えて、星が見える時その周りは暗いからあの色合いが採用されているのか。
退屈だと当たり前のことさえ疑う余裕があるからいい。いつだって退屈の中に幸せがあることはもう知っている。本当は知らなくても、知っているつもりになっている。そうやって盲目的に信じ込めることが幸せなのかもしれない、と思った。
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