外見と中身、自分と他人、創作と欺瞞、などのこと。

寝たり起きたりを短時間で繰り返して、朝になるまでに演劇の映像をもうひとつ見た。音楽劇だった。字幕があったから言っていることが分かったけれど、当時劇場で見ていた人は内容を理解できたんだろうか。何十年も前の映像でも迫力は伝わってきたし、それでいいのかもしれない。

朝起きて、カーテンを開けるとき、昨日の雨を思い出した。強い風が吹いて大きい雨粒が斜めに落ちていた。窓を閉めていたけれど音で分かるくらい激しくて、窓を開けてつい眺め入った。まるで嵐を見ているような気になった。

絶対に濡れない、吹かれない、干渉されないことが約束された安全なところから見ていたんだ。それはまるで演劇のようだ。

客席と舞台、観客と演者、文字と目、音と耳、雨と体、それらの関係性を疑っていた。すっかり当たり前を失った時代では、新しさにも驚けない。関係を溶かす、その先、もしくはそのずっと前に移動しなければ意外性など感じられないのだ。

ここまで書いて、これは取っておいていつか別の機会に出せばいいと思った。でもそんなことを気にして日記を書くのは嫌だからそのままにする。見せることを意識していないのに開示しているなんておかしなことだけど、意識したら続かなくなるだろうからこれからもこのままやる。

今日は頭の中にあることを外に吐き出すような作業をしてみた。想像ではもっと効率良くできるのに、自らの効率の悪さを加味していなかったせいで全然進まなかった。

それでも疲れたので散歩にでも出ようかと思いながらずっと音楽を聞いていた。そうしたらそのまま外に出たくなって、散歩にでも行くかと思いながら相変わらず部屋で音楽を聞いていた。

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